いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

巨人・由伸監督が辞任! あの「メモ」には何を書いていたのか

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4年連続でペナント奪還に失敗したプロ野球読売ジャイアンツ高橋由伸監督が、就任3年目にしてついに辞任することがわかった。

 

昨夜、このニュースがネット上を駆け抜けたとき、別に巨人ファンでもないぼくがまず思ったのは、「よかったな! ヨシノブ! ついに辞められる!」ということである。

 

端正なマスクに、天才的なバッティングセンス。

現役時代のヨシノブは、おそらく巨人ファンでなくても、アンチ巨人でも、誰もが見惚れていただろう。

むしろ、ヨシノブのプレーに惚れないのは野球ファンじゃないよ? とまでいえるかもしれない。それぐらいスター選手だった。

 

そんな彼が、半ば強引に現役から引きずり降ろされたのが3年前だ。選手兼任ではない。前代未聞の、現役生活を犠牲にした監督打診。

 

監督時代のヨシノブを見ていると、ぼくに似ていることがよくわかる。

何を言ってんだと、言われるかもしれない。

けれど、ある二点において、ヨシノブはオレタチ、カレはオレなのだ。

 

まず一つ目は、「辞めたいのに辞められない仕事をしている」、ということ。

本人は監督を打診された当時、「光栄」という言葉を口にしているが、それは悪い意味で「大人」の嗜みというもの。

 

第一、実際に監督になってからの3年間。彼が楽しそうであったことがあるだろうか。

唯一、楽しそうな表情を見せたのが、昨年のオールスターで自軍の捕手小林が珍しく本塁打を打ったととき、「シーズン中に打て」とばかりにその場で地団駄を踏んでいたころだ。

 

それ以外、彼は通常、ベンチでほとんど感情を失ったように突っ立っている。どう考えても「やりたくなさそう」で、「辞めたいのに辞められない」ようにしか見えなかった。

 

ヨシノブとオレタチをつなぐ点、2つ目。それは「メモ」だ。

監督中のヨシノブの代名詞といえば、緻密な戦術でも、気を衒った采配でもない。メモである。

3年間、シーズン中のベンチでやたらと目撃されていたのが、彼が手帳を取り出しメモを取る姿。

打たれてはメモ、打てなくてはメモ、負けてもメモ。メモメモメモ。

一体、メモには何が書かれていたのだろう? 一説によると、紙一面が「辞めたい辞めたい辞めたい」で埋め尽くされているという説も実しやかに囁かれてはいるが、真偽は不明だ。

 

ヨシノブは3年間、メモを取り続けてきた。

 

しかし、その「メモ」の内容に意味がないのは明らかだ。メモに有益な表情であったなら、あの巨人を率いて3年間、タイトルなしなんて芸当をやってのけられるだろうか。

 

あの「メモ」の内容自体には意味がない。では、何なのか。

教えてやろう。あれはバツが悪いときについついやってしまう「手グセ」だ。

なぜわかるかというと、何を隠そう、ぼくにもメモを取る癖があるのだ。

 

仕事でミスしたとき、上司に怒られるとき、大抵ぼくはメモを取る。

 

でもそれは今回の反省点の洗い出しや、次回への対策を書いているわけではない。

辛い時間が過ぎるのをひたすら耐え忍ぶため、メモはそれがちょっとでも安らぐように、顔を下に向けるための口実にすぎない。ボクサーもパンチをもらうときはあごを引くだろう。あれと同じだ。

 

ヨシノブは今まで、何百、何千というページをめくっただろう。何本のペンをメモとして消費していっただろう。何リッターのインクをメモ用紙にしみこませていっただろう。

その歴史は巨人の歴史、ではない。ヨシノブ個人の苦悩の歴史であり、どちらかというと囚人が毎日壁に掘る正の字に近い。いつ釈放の日が来るとも知らず、ひたすら待つ囚人のように…。

 

なぜ、ヨシノブは奴隷のように、自身の人生を搾取され続けてきたのか。なぜ、「辞めたくても辞められなかった」のか。

野暮なことをわざわざ書くまい。ネットで検索すれば呆れるほどすぐにわかること。人の人生を左右するのは、今も昔も呆れるほどシンプルな問題なのだ。

 

そんなことより今は、ヨシノブが解放されたことを言祝ごうではないか。

 

「辞任」と言えば悲しい響きだが、ヨシノブの心は咆哮しているはずだ。映画『ショーシャンクの空に』で土から出てきたティム・ロビンスが、土砂降りの雨を降らす天に向かって叫んだように。それは勝利の咆哮なのだ。

ヨシノブの第二の人生が、今、始まる。