いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】マンチェスター・バイ・ザ・シー

俳優にして映画監督のベン・アフレック実弟ケイシー・アフレックがアカデミー主演男優賞に輝いた一作です。
すごーく地味な映画です。古ぼけた街並みの風景も含め、素朴です。けれどなかなかどうして、鑑賞後にズシーンと残るものがある。地味なケイシーですが、その地味さが生きている。まるで彼のためにあるような映画でした。


アパートの便利屋として細々と暮らすリー(ケイシー)は、兄の訃報に故郷はマンチェスター(サッカー好きだと“英国の”と勘違いしますが、米ニューハンプシャー州の一都市)に舞い戻った。彼はそこで突然、高校生の甥っ子の後見人に指名されます。故郷に長居をしたくないリーと、引っ越したくない甥のパトリックはそこで対立することになります。

映画はそんなリーの現在と、ある出来事以前のリーを交互に描きます。不思議なことに、そこに描かれるふたりのリーはまるで違う。過去のリーは子煩悩で社交的。一方現在のリーはまるで人と関わることを避けるように生き、何に対しても否定的です。その“出来事”がリーを変えてしまったわけです。

その“出来事”が何かが明かされると、リーの一人では到底抱えきれそうにない、けれど一人で抱えていくしかない苦悩がひしひしと伝わってくる。刑罰は苦しませることで改心を促すのですが、でも、罰せられない苦しみも存在することを、この映画は教えてくれる。罰せられず、なおかつ生きていかなければならない状況ってあるんですね。まさに生き地獄です。そういう状況では、「許される」ことがむしろつらいってもんですよ。

映画の最後までリーはリー自身を赦せませんし、彼の傷は癒えません。見逃して欲しくないのは、リーが最後の方でばったり出会う人物とのダイアローグ。そこでのケイシーの演技で、ぼくは彼が主演男優賞を獲るにふさわしいと感じました。

リーはその人物との対話を通し、「ああ、やっぱまだ無理だ」となる。でもそれが、またポジティブ過ぎなくていいかなとも思えてしまう。パトリックとの関係にかすかな希望を漂わせながらも、リーはまた引き返してしまう。失ったものは取り戻せないけれど、でも一歩ずつ、一歩ずつ元の場所に戻っていけばいい。そう言ってくれているように思えます。。