いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【書評】愛がなんだ/角田光代


愛がなんだ (角川文庫)

愛がなんだ (角川文庫)

せつねえ…。せつねーよ…。
角田光代の小説『愛がなんだ』は、決して振り向いてくれない男に対してひたすら下手に出てしまう、悲しい女の性を描いた小説です。
「私」は、とある飲み会で知り合った「マモちゃん」のことが好き。すでに肌を合わせてはいるものの、付き合っているわけではなく。「私」は「マモちゃん」に頼まれれば世界のはてまでお使いに行くほど従順だけれど、「マモちゃん」は「私」のことをどう思っているかはわからない…。

この手の女性が深刻なのは、相手を好きすぎて我を忘れる、まではいかないんですよね。「私」は「マモちゃん」が好きで好きで仕方ないけど、「好きすぎる私」がウザがられるのではないか、という恐怖心ももちあわせている。

 今すぐそこに駆けつけて、風邪に効く料理をこしらえてあげるよ、と、のどまで出かかった言葉をのみこみ、「なんにも食べてないの? やばいじゃん」私は言って、なんでもないことのように笑った。求められていないことをみずから提言するのはよくない。押しつけがましい。ときに相手をびびらせる。

してあげたいけど、嫌われるのが怖いからしない。実はそういう、素直に自分の欲求を満たせられないタイプの女性が、一番恋愛で苦労するんじゃないかと思うわけですよ。「好き好き大好き超愛してる」(たぶん誰かの小説名)と言って相手に特攻できるような女なら、手っ取り早く玉砕できるんです。エゴイストだから。

「マモちゃん」が好きだけど、好きであるゆえにそれ以上踏み込めない「私」。その距離の中でがんじがらめになっている様子はなんとも痛々しい。「マモちゃん」を中心に回る彼女の世界は次第に、社会とうまく適合できなくなっていきます。このあたり「クスリやめますか人間やめますか」の世界ですよ。恋愛・イズ・ドラッグ。

 言いなりになる、とか、相手がつけあがる、とか、関係性、とか、葉子はよく口にするが、それらは彼女の独特な人間関係観、もしくは恋愛観である、と、私は思っているので、えへへ、と曖昧に笑う。私のなかに言いなりだのつけあがるだのという言葉は、存在しない。存在するのはただ、好きである、と、好きでない、ということのみだ。

「都合のいい女」と言えばそれまでなんです。でも、読んでいると「私」にも「私」なりの理路があることが明らかになっていく。そこはやっぱり角田さんの才能で、どうしようもない感情を抱えてどうしようもなくなっている「私」に寄り添いたくなっていきます。ほんと、「好き」っていうこの厄介な感情はいつまで人類を苦しめるんでしょうね?

だから、これを読んだ男性は胸に手を当てて一度考えてみましょう。真夜中に電話かけても不自然なほど必ず繋がる女友達はいたりしませんか? その子は、あなたからみてウザくならない絶妙な距離を保っていませんか? いたとしたらその子はあなたにもうどうしようもないぐらいイカれています。責任をとるか、その子の前から姿を消すかなりしてあげてください。