いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】ビューティー・インサイド

韓国の映画「ビューティー・インサイド」は、毎朝目を覚ますために姿が変わってしまう特異体質の男を主人公にしたラブファンタジー(?)映画です。姿が変わる都合上、主役を123人もの俳優が演じていることでも話題で、日本からは上野樹里が参加しています。


ウジンは高校3年のときに突然、毎朝目を覚ますたびに老若男女、様々な姿に変わるようになってしまう。その秘密を知るのは母親と親友のふたりだけで、それ以降彼は家具職人として人目を避けてひっそり生きていました。イケメンの日にはバーでナンパし、ワンナイトラブにしけこむなど、性的に不自由はしていない。

しかし、そんな彼がある日、ブランド家具の専門店で働く女性、イスに運命的な一目惚れをしてしまうところからストーリーは動き始めます。

ウジンは自分がイケメンになる日を待ちに待ち(このへんの描写はコミカルです)、意を決して彼女にモーションをかけますが、さあ大変。なにせ、次の日には姿が変わってしまうのですから。そんな仲で、ウジンとイスは、永続的な愛を育むことができるのか。この映画が描くのは、「恋はルックスを超えられるか」、と言えるでしょう。

しかし、見ていて偽善的だと思えてくるのは、いざというときに限って、ウジンはイスの前にいい感じの異性として現れるのです。イスにとって、ウジンがイケメンであってほしいようなシチュエーションでは、だいたいイケメンで、そうでなくても60点は下回らない。その多くが「絵になるカップル」なのです。それってどこか偽善的ではないでしょうか? 結局「恋はルックス」だということになりはしないか? そこがなんだか解せない。

本当ならそこで、とんでもなく小汚いおっさんとなったウジンが、イスと熱烈なベロチューをしなければならない。イスのあれやそれをモミしだかれなければならない。それはさぞかしおぞましい、グロテスクな光景でしょう。しかしそれをも込みでなければ、恋がルックスを超えたことにはならない。そういう点では、この映画は自らが作った設定をおよそ活かしきれていないようにさえ思えます。


ただそうした不満についても、後半の展開をみれば少しは好意的に解釈することもできる。

ふたりの交際が始まってからは、イスの視点でも物語が描かれる。そこで描かれるのは、彼女は彼女で、いつも姿形がちがう彼氏を、同一性をともなった「彼氏」として受け入れることで精神的に疲弊していくプロセスです。

そう、この映画が描かれるのは、イケメンであるかブサメンであるかという縦軸の違いではなく、いわば横軸の違いと言えるかもしれない。最愛の人の姿がいつも違うこと、愛の対象とその同一性をめぐる精神的な苦痛だといえる。
しかし、そうなってくると、この映画は少々共感しづらくなってくる。なにせ、毎日姿形が変わってしまう人間なんて、いまのところ見つかっていないのですから。そして、ルックスの優劣が問題なのではないとしたら、それゆえに、ここぞというところでイケメンばかり起用するのが問題なのではないか?

ただしかし、ここには忖度すべき事情があるかもしれません。

もしかしたら、イスを演じたハン・ヒョジュの所属事務所サイドが、彼女と小汚いおっさんの絡みにゴーサインを出さなかったからかもしれない。最近日本国内でもまざまざと見せつけられることになりましたが、芸能事務所の「壁」は、イケメンとブサメンを分かつ壁よりはるかに硬いのです。