いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

ネットで炎上する前に思い描いてほしい「仮想パパ」「仮想ママ」


日本のネット上でも差別的な投稿が大きな問題となっていますが、以下のような海外での出来事が、一昨日あたり話題になっていました。
ブラジルで、人種差別にあたる投稿をしたユーザーの家の近くに、その投稿内容がデカデカと掲示されるイベント(制裁?)があったそうです。

ネットの差別ツイートを発言者自宅近くの看板で晒す作戦、ブラジルで反差別グループが実施。バーチャルな差別のリアルな結果 - Engadget 日本版

現地の反差別団体による取り組みなのだそうです。まことにごもっともで、ケチのつけどころがない活動だと思います。書いた本人に後ろめたい感情がないならば、こんな掲示をしても何も困ることは無いですもんね。


ただ一点、ぼくが残念に思うのは、これが順序が逆であるならば、誰も傷つくことがなかったのに、ということです。

どういうことかと言うと、もしユーザーの側が「もしこの投稿(差別的な内容)が自分の家の近くに貼りだされるとして、アリかナシか」と考え、投稿を自主規制していたならば……今回差別の標的となったお天気キャスターは傷つかなかっただろうし、また、投稿した本人もこうした手痛い仕打ちを受けなかったということです。

ぼくの尊敬する先達の方に、以前こういうことを言われました。

「ネットに投稿する際は、親に見せても恥ずかしくないかを一度考えてからにしろ」(大意)


これは件の差別ツイートにかぎらず、ネット上に何かを発表する際にとてもわかりやすく、即効性のある考え方だと思います。親というのは何歳になっても目の上のたんこぶであり、その人の前で突飛な言動をするのは気が引けるものです。大多数の人はそうでしょう。

ぼくの場合は、世界陸上アヌシュという選手が出てきた途端、母親が夕飯の準備をほっぽり出してテレビの前に駆けつけ「いまアヌスって言った!テレビでいまアヌスって言ったね!!」と小躍りするような厳格な家庭に育ちましたので、「親に見せても恥ずかしくないか」を投稿前に一度考えると、ツイートが綺麗さっぱり「ろ過」されます。


これは「もしこの投稿が自分の家の近くに貼りだされるとして、アリかナシか」を考えることと、ほぼ同じことです。

別に、アカウントが本当に親バレしているかどうかは関係ありません。人間には想像力というものがあります。
仮想ママ、仮想パパがあなたのアカウントを見ている、もしくは、自分の投稿が近くの掲示板に張り出されると想定して、その投稿がアリかナシか。そのことを一度考えてから投稿すれば、ツイートが「ろ過」されると思うのです。

もっとも、基準とする「親」がそもそも狂っている。もしくは「掲示板に張り出してもいい」の脳内基準そのものがぶっ壊れている人には無効かもしれませんが、「まともな人」が舌禍でひどい目に遭うことは、避けられるのではないでしょうか。