いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】サヨナラの代わりに


昨年の夏ごろ、日本でもにわかに盛り上がったアイス・バケツ・チャレンジ。なんすかそれ? という人から、にわかに首を突っ込んだことを思い出し恥ずかしくなった人まで様々だろうが、あの運動は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という全身の筋力がしだいに衰えていく恐ろしい難病を支援するためのものだ。

本作「サヨナラの代わりに」は、そんなALSにかかってしまう若い女性を主人公にしたもの。21世紀トップクラスの「胸糞」展開が有名な「ミリオンダラー・ベイビー」でヒロインを演じたヒラリー・スワンクが、また別のタイプの芯の強い主人公を演じている。共演が、奇しくも「ミリオンダラー」でも共演したエミー・ロッサム

弁護士の夫と悠々自適な生活を送っていたケイト(スワンク)だが、ある日突然、彼女の肩を病魔が叩く。病気が進行した1年半後、彼女のもとに介護者候補として訪れたのが女子大生ベック(ロッサム)だ。介護の経験はなく、非常識でもあるベックを、夫は面接でそっこー落とそうとしたが、ケイト本人は彼女に何かを感じとり、雇うこととなる。


ここまでの展開で、脊損の富豪とスラム街出身の介護者の交流を描いた仏映画「最強のふたり」を思い浮かべた人も結構いるだろう。たぶん参考にはしていると思う。両作ともに、生活階層のちがう者が介護者に選ばれる背景には、障害者側の「自分とひとりの人間として向き合ってほしい」という願いがある。ベックは失礼な上に、料理も満足にこなせないがその反面、ケイトを他の人のように腫れ物扱いしない。

ただ、「最強のふたり」とちがうのは、ALSとは進行性の病で、良くなっていくことは今のところないということだ。その点で本作のほうが悲壮感は強い。後半、声帯のちからまで衰えていき、ケイトが思うように声が出せなくなってからのスワンクの演技は圧巻の一言。燃え盛る感情と、弱々しい身体という両極端を、両立させることに成功している。

ケイトが抱くのは、周囲の人に迷惑になることへの恐れだ。それがもとで、夫との関係は破綻し、あろうことかベックとでさえ仲違いすることもある。

けれど、誰の迷惑にもならずに生きられる人なんて、障害の有無を問わずにこの世界には存在しない。それにケイトが見落としているのは、「誰かのために」という形で輝く人だっていることだ。

ベックは初登場シーンでは本当に小汚い女なのだが、ケイトとの交流を重ねていくうちに、見違えるほど綺麗になっていく。彼女は「歌」という自己実現が上手くできないでいたが、彼女が変わるきっかけとなったのは介護という「誰かのために」なのだ。

映画の終わりは悲壮感に満ちたようでいて、かすかに希望が感じられる不思議な余韻がある。それは、ベックが心から人に頼られる、人に信じてもらえるという得難い経験を通して、人間として一皮むけたことが、ありありと伝わってくるからだろう。