Twitterの作る「都合のよい」つながり
毎度ビビッドな話題を取り上げるNHK総合のあさイチだが、月曜日にこんな特集を組んでいた。
今、“つながらない”生き方が注目を集めています。書店では『孤独』、『ひとりぼっち』などのキーワードがつく“つながらない”本が大人気。東日本大震災以降の“絆”意識の高まりや、SNSで大勢の人と過度につながってしまうデジタル環境の変化など、人との“つながり”が急速に広がる中、関係を断ち切りたくても断ち切れない“つながり依存”に悩む人も多くいます。
番組では、「ママ友」「SNS」などのつながりに悩む主婦たちの声や、その対処法のほかあえて“つながらない生き方”を選んだ人たちの思いを紹介しました。
“つながり”とは、何なのか、いい人間関係とはどんなものなのかを考えていきました。
http://www1.nhk.or.jp/asaichi/2015/06/15/01.html
番組には「つながらない達人」みたいなポジションで蛭子能収が出るなどして面白かったのだけれど、そのときのTwitterがまた興味深かった。
もともとこの番組の放送時には、Twitterにけっこうな数の「実況」が投稿されるものなのだが、この15日の回は、テーマがネット社会とだけあってとくに多かった。
その中で、ある一定の類のおもしろい投稿があったのである。引用しよう。
「つながらない生き方」 # あさイチ つながってる奴ら糞めんどくさ^^;
つながらない生き方、いいねーー。私、つながらないで生きていきます。
( °o°)ハッ ワシももしかしたら「つながらない生き方」している???
つながらない生き方、実践中…。
自分らつながっとるやーん、っていうね。このように、番組放送時には自らもTwitter上で「つながり」ながらも、「つながらない生き方」を賛美、支持、同意したり、あるいは「つながる人々」をdisったりする人が、一定数いたのだ。どーでもいいが、Twitterに「つながっていない」と投稿するのって、Twitterに「黙祷」とつぶやくのと似ている。
閑話休題、別にぼくはここで揚げ足取りをしたいわけではない。その人が「つながっていない」というのなら、つながっていないのだろう。
ぼくが興味深く感じたのはその矛盾そのものよりも、この人達の"TwitterというSNSを使用しているときは「つながっている」わけではない"とする認識そのものの方である。
Twitterに「つながっていない」と投稿するということはつまり、その投稿者にとってTwitterは「つながっている」感が希薄なツールだ、ということが考えられる。
ぼくもこの感覚には同意したい。TwitterはFacebookやLINEと比べると、「つながってる」感はない。そしてそのことがすごく楽なのだ。
ここで本題なのだけれど、たぶんTwitterのいいところは、「つながっているようでつながっていない」あるいは「たまにつながる」ところなのだと思う。
これは統計にもとづいた事実ではなく、あくまでも印象論だが、おそらくはさTwitterでたまに発生する「つながり」は、タイムラインよりチャットツールとしての役割が大きいLINEはもちろん、Facebookよりも頻度が低い。
人と「つながる」ことは嫌いではない。けれど、つねに、ガッツリつながっているのはしんどい。基本的には言いっぱなし放りっぱなしで、たまにどこかから反応くれたりツッコんでくれたりする、それがちょうどいい。そういうニーズに、Twitterはものすごくフィットしている。
Twitterはそういう、気まぐれで身勝手なユーザーには至極「都合のいい」ツールなのだと思う。身勝手なのがダメだとか、都合のいいつながりに乗っかってばかりいると批判したいわけではない。
「都合がいい」、だからTwitterは"いい"のだ。