最近この3語が、もう見ない日はないというぐらい氾濫している。
今からこの3つを論難していくのだが、わかっている。言葉など移ろいやすいもので、「伝わればいい」のである。であるからして、これから綴ることは批判というか言いがかりに近いレベルの、個人的な感情である。
では1つ目。
「こじらせる」≒「卑屈」
もうね、ホント好きねみんな。「わたしこじらせてるからー」とか、そんな感じ。実は意味はかなりあやふやなのだけれど、とりあえず「自虐的でめんどくさいやつ」というところは共通してるんじゃないだろうか?
そう考えるとこの「こじらせる」、従来でいうと「卑屈」になるのである。卑屈なやつって自虐的であるし、めんどくさいじゃん。ほら、別に「こじらせる」は全く新しい概念なんかじゃないのである。
いやしかし、この「こじらせる」についていえば、ぼくにとっても「あって便利」「あって悪くない」「いやむしろ、がっつり使わせてもろてます」のレベルで、半分ぐらいヒガミである。
ではつぎ。
「上から目線」≒「高飛車」
この「上から目線」についても、最近ほんとーによく聞く。誰かに誰かが言及するときに、その仕方がエラソーである様を表すときに使われる言葉だ。。
けれど、これも以前からある「高飛車」という言葉で置き換え可能ではないか。
ちなみに、何がエラソーかを決めるかはセクハラと同様に受け手のとらえかたにすぎず、言われた側がムッとしたらそれは「上から目線」認定されるわけだ。もうなんか言いがかりレベルの話で、個人的にはあんまり好きではない言葉だ。
けれど、「上から目線」を言いたくなるのもまあわかる。相手の指摘にカチンと来ることもあるし、そのときに咄嗟に「高飛車」がでないときもあろう。許したいと思う。
で、最後の3つ目、本当にこれだけは無理なんとかして、もう使うなという流行語がこちら。