いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「こじらせる」と「上から目線」と「見える化」

最近この3語が、もう見ない日はないというぐらい氾濫している。
今からこの3つを論難していくのだが、わかっている。言葉など移ろいやすいもので、「伝わればいい」のである。であるからして、これから綴ることは批判というか言いがかりに近いレベルの、個人的な感情である。

では1つ目。

「こじらせる」≒「卑屈」


もうね、ホント好きねみんな。「わたしこじらせてるからー」とか、そんな感じ。実は意味はかなりあやふやなのだけれど、とりあえず「自虐的でめんどくさいやつ」というところは共通してるんじゃないだろうか?

そう考えるとこの「こじらせる」、従来でいうと「卑屈」になるのである。卑屈なやつって自虐的であるし、めんどくさいじゃん。ほら、別に「こじらせる」は全く新しい概念なんかじゃないのである。

いやしかし、この「こじらせる」についていえば、ぼくにとっても「あって便利」「あって悪くない」「いやむしろ、がっつり使わせてもろてます」のレベルで、半分ぐらいヒガミである。

ではつぎ。

「上から目線」≒「高飛車」


この「上から目線」についても、最近ほんとーによく聞く。誰かに誰かが言及するときに、その仕方がエラソーである様を表すときに使われる言葉だ。。
けれど、これも以前からある「高飛車」という言葉で置き換え可能ではないか。
ちなみに、何がエラソーかを決めるかはセクハラと同様に受け手のとらえかたにすぎず、言われた側がムッとしたらそれは「上から目線」認定されるわけだ。もうなんか言いがかりレベルの話で、個人的にはあんまり好きではない言葉だ。
けれど、「上から目線」を言いたくなるのもまあわかる。相手の指摘にカチンと来ることもあるし、そのときに咄嗟に「高飛車」がでないときもあろう。許したいと思う。


で、最後の3つ目、本当にこれだけは無理なんとかして、もう使うなという流行語がこちら。

見える化


可視化って言えやボケ


この一言に尽きるが、この言葉の馬鹿っぽさはなんとかならないのだろうか? なにより動詞を「◯◯化」で受けるのが気持ち悪い。推測だが、たぶんマーケティング界隈から流れてきた言葉が、そのままなにかの間違いなのか定着してしまったのだろう。


以上の3つである。異論は認める。
まあそれにしても、わたくしのような「こじらせた」30手前の男がこうやって「上から目線」で物言いをし、それがブログというメディアで不特定多数の人に「見える化」してしまうのだから、因果な時代ですなぁ。


なんつって。