いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】エンディングノート

エンディングノート [DVD]

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がん告知を受けた実父の死ぬまでを記録した、異色のドキュメンタリー作品。
エンディングノート」とは実際にある文化で、書き手が自分の死後について遺族が困らないように記しておく書き物なんだそうだ。遺書のように法的拘束力はないが、よりカジュアルなのが特徴とのこと。不勉強なもので、この映画で知った。
Amazonで「エンディングノート」と検索すると、本作のDVDよりも前に実際の「エンディングノート」が上位に出てくることから、結構普及していることが伺える。

コクヨ エンディングノート もしもの時に役立つノート B5 LES-E101

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がん告知を受けた主人公の砂田知昭は、監督・砂田麻美の父親なのだが、この人が本当に「日本のお父さん」「昭和のお父さん」という感じ。大卒で入社した会社を勤め上げ、定年退職後も忠義を感じている。
そんな何の変哲もない一般の男性の死を追うことが果たして作品になるのだろうか、と少し懐疑的な気分もあった。ところがどっこい、すごい作品だった。


すごいと思ったのには、監督のとった「距離感」によるところが大きい。
取り立てて仲が悪いわけでない父親が死むまでを娘が撮影するのである。普通ならば、もっと個人的でウェットなものになってしまうことだって、ありえたわけだ。「実父の死を娘が撮る」ということにフォーカスをあて過ぎたら、そうなる危険性があった。
けれど、この映画の監督はあくまでも客観的な「観察者」の立場を崩さない。非常に冷静で、誤解を恐れずにいえばドライとさえいえる。

そうした監督独特の距離感によって、ある個人の死という本来ものすごく特殊だったはずのテーマは反転し、だれもが逃れられない死の迎え方を考えさせられる、きわめて普遍的な作品にすることに成功していると思う。


本作が映すのは厳しい闘病生活、ではない。そうではなく、「“もうすぐ死ぬ人”だって普通に生きている」という当たり前の事実だ。カメラに向かっておどけたり、バカ話だってする。がん患者もその家族も、ずっと悲嘆にくれている訳ではない。そんな被写体の素顔を撮れたのは、撮影者自身が家族という身内だからなのかもしれない。


劇中で知昭が奔走するのが、自身の死について、特技とする「段取り」を付ける作業だ。どこで葬儀をしてほしいかや、だれを葬儀に呼んでほしいかなど、ことこまかに自分自身で決めていく。「自分がもういない世界」への準備に備えるのだから、ある意味それは究極の「引き継ぎ業務」といえるのかもしれない。とくに、自分が死ぬことを前提にした作業である。それを、冷静に粛々と進めていく知昭には、ある意味、神々しささえ感じてしまう。おそらく真逆で、何に対してもノープランでGOなぼくからすれば、到底マネできない。
ただ間違ってはならないのは、この作品にはそうした知昭の死への臨み方が「すばらしいもの」だと称揚する目的はない、ということ。知昭には知昭の死に方があるのだけれど、それはあくまでも多くの死に方のワン オブ ゼムだよ、という冷静さが作品は保持する。


先述したように、淡々と、ときにコミカルな主人公を映すのだけれど、やっぱり次第に弱りゆく中で壮絶な場面にも向き合わなければならない。実際、病状が悪化する後半にかけて劇場内でも鼻をすする音が増えていった。
監督が身内ということから、カメラは普通ならば絶対に入り込めない光景もまざまざと映す。死を目前にしてあらわになった夫婦のある意味「究極の姿」(の寸前)にまでも、迫っている。ある種のタブーを映してしまっているような感覚。そんな、ドキュメンタリーならではの緊張感も、この映画にはある。
「自分の死」という誰もが逃れられない、にもかかわらず、全くもってリアリティを感じられないその現象について考える上で、とても参考になる映画だと思った。


ちなみに、この映画はまさにあと数日でエングィングを迎えようとしている、109シネマズMM横浜でのリバイバル上映で鑑賞した。500円で25日まで上映中なので、ぜひともあの映画館の最期を見届けてあげてほしい。