いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】柘榴坂の仇討 90点


ときに、フィクションでは「過去を生きる人」というのが描かれる。過去に大きな失敗や過ちを犯したことを克服できず、ずっと引きずっている人なのだが、そうした人は弱さがある反面、どうしようもなく魅力的にみえてしまうものだ。
浅田次郎の短編小説を原作にした『柘榴坂の仇討』は、そんな「過去を生きる男」2人を主役にした時代劇。開国へと舵を切った井伊直弼が暗殺された桜田門外の変を題材に、目の前で主君の首をとられた彦根藩士・志村金吾役を中井貴一、自分の犯した罪を背負い続ける敵役・佐橋十兵衛を阿部寛が演じる。もう、この2人が並びたつだけでごはん3杯いける。


時代背景がすごく面白い。時は江戸幕府から政府へと体制がガラリと変わった、明治5年。生活、文化がどんどん洋風化をとげていく中、着物姿で帯刀し、チョンマゲを結った志村は得意に見える(そういえば緋村剣心もそうだった)。彼は、故郷となる藩を失い、忠義を尽くす主を失った、幕末の"亡霊"だ。
近代化した町民の心根にも、侍としての誇りは残っているということは、とあるコミカルな場面で描かれる。しかし志村には、君主をむざむざ暗殺されたことへの恥と、その仇討ちという責務が、13年たってもなお呪いのようにのしかかる。

一方、阿部が演じる佐橋は、人力車で糊口をしのいでいる。2人の描写が交互になされ、クライマックスになってようやく対面するあたりは、どこかリドリー・スコットの『アメリカン・ギャングスター』の構造と似ているが、あの作品でのデンゼル・ワシントンと決定的に違うのは、佐橋が「追われる者」でありながら、仇討ちされるのを「待っている者」でもある、ということだ。


せつないのは、時代が変わっても変えられない、命より大切な信念があることで共通する2人が、ある一点(君主の家臣/敵役)においてのみ、対立していることだ。信念を重んじるという行き方で相通じ合う2人が殺し合う姿は、なんともやりきれない。仇討ちは完遂されるのかどうか、そして、2人がどうなってしまうのかは、原作未読のため心から楽しめた。


観賞後、原作が気になって古本屋で買い求めたが、驚いた。原作はわずか数十ページしかない。さらにさらに、鑑賞した人なら驚くと思うが、原作では志村が夢にうなされる場面のあとは、もう藤竜也に面会する場面にいってしまう。
つまり、その間の妻の設定のもろもろ(いくらなんでもミサンガはないと思ったが)や、佐橋の現状については、すべて映画オリジナルということになる。みごとな膨らませ方だと思う。感服。

五郎治殿御始末 (新潮文庫)

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