いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】海を感じる時 50点

そして下が、劇場での公開がNGとなったという「幻の予告編」(Youtubeで閲覧できるのに何が幻なんだというツッコミはなしの方向で)。


1978年に、当時18歳の中沢けいが発表し、群像新人賞を受賞した小説の映画化。市川由衣池松壮亮を相手役にフルヌードを披露した(こういうとき「体当たりで演じて」というが、この世に本当に体当たりで演じている女優は島田珠代だけだと思ったり)、目下の話題作。

池松くん・ミーツ・セッ●スといえば、嫌が応にも『愛の渦』的なものを期待してしまうのだが、そういう感じでもない。惚れた男に好きでないと宣告されながらも身体を許してしまう女の、言ってしまえばありがちな悲哀を描いている。


とにかく間を作る芝居で、舌足らずな語り口は鑑賞者自身にその間を考えて埋めようとさせる「余白」なのだと、好意的にとらえることもできる。若い男女が複数人で観に行って、帰りにガストでああでもないこうでもないとその「余白」を埋めていく作業は、面白いかもしれない。


が、その余白が巨大すぎる場面もあって、登場人物が何を考えているのかがさっぱりわからないこともある。市川が突然過去のことでキレ出すところなど、「うわー、女のこういうの知ってるー」という既視感はあるが、その一方で池松くんの大きな心変わりは拙速すぎて、「?」となることは必至である。
このあたり、原作で読んで確かめてみたいところだが、公開に合わせてか4月に出版された講談社文芸文庫版は、ややお高め……。

テンポも悪く、「好きなのよ」「俺は好きじゃない。どっか行け」という押し問答が延々と続き、中々話が前に進まないのにはイライラさせられる。


一番の見所は、中村久美という女優が演じている市川の母親の場面で、高校生の娘が男と寝たことでガチギレしたり、娘の男にガン無視決めるなど、かなりインパクトを残す役回りだ。
彼女が娘にここまでガチギレするのには家父長制的な時代的背景もあって、女性の「処女性」が財産であった当時、「カネとカオの交換」(小倉千加子)どころか何も与えられずに、娘がただ一方的に身体を差し出したことが、口惜しいのだ。それは、21世紀現在も未だに一部の男性が「処女性」に執着していることからも、容易に想像できる。
ただ一方で、娘には娘の「あたしが好きで身体を差し出したことの、何が悪いのよ」という言い分もあるわけだ。


この映画、公開館は少ないが大ヒット中だという記事をさっき見かけて、正直びっくりした。
ここまで読んだ読者ならお察しのとおり、ぼくはそれほどおもしろいとは思えず、評価していない。サブカル女子が何かわかったげになって自己陶酔するのかもしれないが、ぼくにはよくわからない。
だからそのヒットも、とりあえず市川の裸を拝んでおこうか、という動機で観に行った人が多いのではないかという穿った見方になってしまう。
もしそうだとするならば――市川の裸がヒットの要因だとするならば、人格など度外視で女の身体が否が応でも価値を持ってしまう現実を描いた本作にとって、それほど皮肉めいた話もないだろう。