いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】アメイジング・スパイダーマン2

マーク・ウェブ版リヴート2作目。前作でガールフレンドのグウェン(エマ・ストーン)の父親から重すぎる"遺言"を受け取ったスパイダーマン=ピーター・パーカー(アンドリュー・ガーフィールド)のその後と、新たな強敵たちとの戦いを描く。


なんといっても、スパイダーマンがウェブづたいにマンハッタンを躍動する姿が爽快すぎる。彼が住まう超人の世界がどれだけ自由に満ちあふれているかが、特に冒頭でこれでもかと描かれる。うっかり2D版で観るという愚行を犯してしまったが、逆に言えば2Dでこれだけ映像的快楽が強いのだから、3DやIMAXで観ればさらに楽しめるだろう。

"ヒーローであることに小慣れた感じ"が出ている今作では、人物的な魅力も増している。トビー・マグワイヤ版の繊細な優男もいいのだが、しぐさや会話の端々にでるガーフィールド版の等身大の若者的なお茶目さは、四六時中眉間にしわを寄せている気難しいバットマンとは、またちがった魅力を放っている。

今回の主なヴィラン(敵役)は、ジェレミー・フォックス演じる電気技師が事故で変身したエレクトロと、『クロニクル』でブレークしたデイン・デハーン演じるハリー・オズボーン=グリーンゴブリン。誰にも顧みられない男がスパイダーマンに抱いた憧れが反転し、圧倒的な敵意になったというエレクトロの悲しい背景もいいのだけれど、やはりデハーンの妖しい瞳の色気が際立つ。なぜこんなにも、「特殊な力を手に入れたが制御できず、逆に支配されて悪に落ちる」役回りがこの人は似合うのだろう。


ただ、幼なじみという強固な背景をもつはずが、ピーターとハリーのライバルとしての立場の対称性は、薄いといえる。
ヴィランはあくまで脇役で、本作はやはりピーター自身の物語なのだ。ヒーローという自己犠牲的で危険に身をさらす立場を選び、なおかつ最愛のグウェンとともに生きることを決めた彼だが、待っていたのはあまりにも悲痛な結末だ。
今作の事態は、実は前作でグウェンの父親を死なせてしまったことと同心円状にあっただけに、彼の後悔はより深い。
だが、人間ピーターを再び奮い立たせ、英雄スパイダーマンに復帰させるのもまた、彼が守ろうとした彼女の言葉なのである。
彼が共闘を呼びかける市民は、だれも彼の深い悲しみを知らない。けれど、いや、だからこそ、自身を待望する市民を背負っても、彼はヒーローとしてなおいっそう孤高の輝きを保ち続ける。
昨今のアメコミ映画と同様に、本作はヒーロー映画であると同時にまた新たな「ヒーロー論映画」なのである。


4作までの制作が決定している同シリーズだが、本作はおそらくシリーズの転換点であり、3作4作と続く今後を占う上でも、また、あと2作を気長に待ち続ける気持ちになるためにも、ぜひとも劇場で目撃しておきたい一本だろう。