いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】次世代感は皆無!! アニメの世界をそのまま再現したカルト作ーーTHE NEXT GENERATION パトレイバー/第1章

80年代末に始まった『パトレイバー』シリーズ初の実写版。押井守自身が総監督を務めている。
とにかく、異様な鑑賞体験だった。好き嫌いが極端に別れる映画だと思う。
この映画を観る上で大前提として、パトレイバーが「どういうものか」を知っておかなければ、おそらく多くの人は鑑賞後、口をあんぐり開けて劇場を後にすることになるだろう。
特にOVA版の「パトレイバー」というのは、いわゆる「ロボットアニメ」ではない。ロボットは出てくる。出てはくるけれど、彼らや、そして彼らの搭乗者を、ど直球に「カッコよく描く」ことを主眼とする作品ではないのだ。
制作者側の主眼にあるのは、むしろロボットが当たり前のように日常≒東京にある風景であり、そこに発生する人の営み、予期される政治的な衝突である。さらに、制作者一部の天の邪鬼な性分からか、本来「カッコよく描く」ことが常であるロボット(本作ではレイバー)や搭乗者(本作では特車2課)というのは、(表面的には)よりカッコ悪く描く方針へと、舵が切られていく。


こうした点を考慮しなければ、今回の実写版は面食らうのではないか、と思った。とくに今回5日に公開された第1章など、レイバーが動いて活躍するのは数秒である。古参ファンでないかぎり、ふざけてるのか? となるのは必然である。前提を踏まえないと、ついてはいけない。


ただ、そうした前提を考慮にした上でも、やはりこの映画は異様である。
何よりもこの映画が教えてくれたのは、押井監督の大好きな「これまでの込み入った事情をもってまわった言い回しで解説する事情通による長セリフ」が、全く持って実写向きでないということだ。
アニメ版で整備班のシバシゲオ(今作で整備班長に昇進)の声を当てた千葉繁が自ら演じているのだが、この人のセリフが顕著。アニメ版なら静止した人物の長セリフも全然違和感がなかったはずなのに、実写だとまるでちがう。直立してのセリフが、まるで演説を聞かされるようにヘンテコで、かつ場が持たない。台本を片手にマイクの前で話しているようなのだ。シバに限らず、整備班に関する演出が、これでもかというくらい不自然。出演者らのせいではない。それらがアニメに基づいた演出だからだろう。過剰演技はまるでコントだ。


THE NEXT GENERATIONと銘打ち、設定の時代もアニメシリーズから2013年に更新してはいるものの、実態はアニメの忠実な再現に当てられている印象が強い。Twitterなどで感想を検索すると、おおむね古参ファンには好評のようで、やはり同窓会的なニュアンスが強い。


個人的には、パトレイバーを土台に新しいものを作ろうと思えば、いくらでもあると思う。
OVA版、アニメ版、アニメ映画版はいわば「戦後民主主義下」「55年体制下」(細川政権より前の時代!)の安寧を、「ヒマをもてあますわが国のヒーロー」という形で強烈に皮肉っていたのである。
けれど、時代は変わったわけで、現代において再度「ヒマをもてあますわが国のヒーロー」を再現することに、あまり意味は見出せない。現実が非常事態に陥ったのに、平穏下でしたり顔で非常時をシミュレーションしてきた作り手が、それへの言及を避けるのは、名折れ意外の何物でもないのではないか?
真野恵里菜ありきのアイドル映画かというとそうでもなく、彼女が魅力的に映っているかというと、そうでもない。


先述したように、アニメからそのまま出てきたような動きをする出演者らが、とにかく受け入れがたい。「ぼくっ子」への耐性が低い筆者からしたら、似たような苦痛を味わった。
まだ第1章で、この先もあるので評価は下しにくい。
ただ一つ言えるのは、この同窓会的なノリが続くのだとしたら(第2章予告編をみる限りこのノリが続く恐れが強いが)、わざわざ劇場に駆けつけてみるものなのか、という疑問は拭えない珍品に終わるだろう。