いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】ラッシュ/プライドと友情

1976年シーズンのF-1で、当時フェラーリ所属のニキ・ラウダマクラーレンジェームズ・ハントが繰り広げた伝説的なデッドヒートの映画化。監督はロン・ハワード
もう邦題で言い尽くされた感がある(それにしてもこの間のスラッシュはなんなんだ?)が、名前にたがわぬ熱い映画だ。直情型でワイルドなハントに対し、ラウダは知性派で功利主義的。水と油、いや、炎と氷のような性質の2人が競い合った1シーズンを、それまで2人がたどった道筋とともに描いて行く。


お笑い芸人の千原ジュニアが以前、たしか陸上のフライングについての議論で、1人ずつ走れば問題は解決するという話をしたあとで、「でもそうすると絶対に記録は落ちますけどね」ということを言っていた記憶がある。なるほどな、と思った。ライバルとは、絶対に負けたくない相手のことである。では、お互いをもしライバル視していたとしたら……2人のパフォーマンスは無限にレベルアップしていくことになる。少なくとも理論的には。
そういう点で、よくある少年ジャンプ的な「古典芸能」なのだ。けれどここまで真っ向から、かつ隙のない描かれ方をすると、悔しいがやはり燃えてくる。

映画は同時に、F1ドライバーがいかに「わりに合わない」危険な職業なのかも、言い含める。なにせ、定期的に人が死ぬのだ。知性派のはずのラウダが、レース前に吐いてしまうほどのハントが、なぜそれでも相も変わらずレースに戻ってくるのか。この映画の2時間は、それを説明して行く道程でもある。


注目すべきは、2人のライバル関係が実は男性としての能力にも飛び火しているということ。直接的に女性を取り合うというわけではないが、この監督は明らかに、レーサーとしての争いと、男としての争いをシンクロさせたがっていると思う。レースでも私生活でも劣勢に立たされ、行きずりの×ァックをするハントの劣情に燃えた目が印象的。彼の"ピストン運動"と、高速でピストンし始めるエンジンをカットバックで見せる場面があり、「ベタだな!」と仰け反ったが、結局はそういうことなのだ(どういう事だ?)。

1ポイントを争う優勝争いは、最終戦にまでもつれ込む。巧みなのは、どちらも最後までちがった形で「主役」として描ききったことだ。ハントにはハントなりのカッコよさがあり、またラウダにはラウダなりのカッコよさがある。統計をとったわけでないが、どちら派かを訊いたらけっこう割れるのでないか。
2人の別れ方はケチが付けようがないほど清々しく颯爽とし、それはこの映画の感想そのものでもある。