いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

昔の恋人の振り返り方でちがう恋愛観

※「昔の恋人、あなたはどう振り返る?」からタイトルを変更済み。


先月のことだが、こんな匿名記事が話題を呼んだ。

■元カノが結婚する
学生時代につきあっていた元カノが結婚するらしい。
モヤモヤする。
なぜだろう、と考えてみる。


……

こういう書き出しで始まる記事。未読の人は、とりあえずこちらを一通り読んでほしい。
要約すると、おれ既婚者だけど、1番印象にのこっている元カノが結婚するらしくて、なんかわかんないけどモヤってるわーという話。


一応、よりを戻したいわけではないと断ってはいるけれど、妻帯者のクセして元カノとのことを情感たっぷりにナルシシズムたっぷりに振り返るのはいかがなものか、という向きもある。
ただ、頭の中で思惟してしまったことは仕方がない。そしてそれを吐き出したくなったとき、匿名投稿というのは使い方として非常に理にかなっていると思うのである。
はてブでは待ってましたとばかりに「キモい」と袋だたきにする人々もいれば、反対に共感しているという人も少なくない。そんな感じ。全編にわたって「秒速5センチメートル」級のセンチメンタルが漂っている。


で、この記事に、はあちゅうパイセンによる以下の記事と重なるところがあるのである。

出会って別れて、私の一部になった人たち

 先週、母を恒例の親孝行ご飯に連れて行ったのですが、
コースの最後のデザートプレートには
「これからも元気でいてね」と書いてもらいました。

 嬉しがる母がふと思いだしたように
「そういえば、春香ちゃん
こうやってデザートに何か書くようになったのって
アンちゃんと付き合ってからやね」と言ったので、
懐かしい気持ちになりました。


……

こちらもまずは、ご一読を。
今までに付き合い、結局は別れてしまった昔の恋人たちからも、考え方とか価値観、習慣といった無形のなにかを受けとって、そして自分もまた別の人にそれをパスしている、という話。


この2つの記事、共通点は多い。
まず、昔の恋人について書いているということ。
そして、両者とも昔の恋人に多くを学んだと主張している。実は、まったく同じ現象について書かれている、といえるのだ。


では、何がちがうのだろう。
まず記事のトーンだ。前者はとにかく感傷的でそれが「キモさ」を醸し出す1つの要素なんだけれど、ウジウジウジウジしている。
一方、はあちゅう女史の記事は、むちゃくちゃポジティブ。「誰かと誰かの バックグラウンドが知らない間にまじりあって」というフレーズなどは、「カレシの元カノの元カレの元カノ」的な、ものすごく猥褻な想像をかきたてるがそれはともかく、最後の方なんて「世界の裏」とグローバル規模にまで思考が飛翔し、読後感もさわやか。


おもしろいと思ったのは、この2つの記事には同じような表現が使われており、かつその使い方のちがいが、2つの記事における恋愛の在り方を決定的に分けている、ということだ。


前者の匿名投稿には、この元カノがかつて「僕」の「一部」だったということを示す表現が散見する。ピックアップしよう。


「当時の僕らは不可分であると(少なくとも僕は)錯覚していた」
「不可分であったと思えた二人は、それがまったくの錯覚であったことを知る」
「自分の半身のように思い、自分を形作った人とともに抱いた感情は残る」
「かつて自分の一部だった(ような)存在が、自分以外の誰かの伴侶になるのだ」


あの多いとはいえない文章の中で、これだけ使い回されている。


一方、はあちゅう女史の記事はタイトルがすでに「私の一部になった人たち」となっている。


なにがちがうかというと、匿名投稿はつきあっていたころに恋人が自分の「一部」だったと述べているのに対し、はあちゅうの記事は別れた後に恋人が自分の「一部」になったと述べているのだ。ただ、はあちゅうのいう「一部」は、先述したように相手そのものでなく、相手の考え方や価値観など、いわば思い出を意味している。


さらにいえば、はあちゅうの記事ではつきあっていたころのことを2人の会話文で振り返っているのに対し、匿名投稿はつきあっていたころのこともモノローグ(独白)で振り返っている
これは、いま述べた「一部」の使い方のちがいを、きれいに反映しているとぼくは考える。
投稿記事の「僕」は元カノと不可分だったからこそ、彼女をいちいち会話で振り返る必要はなく、それに対し、はあちゅうの記事では別れて「一部」になる前の恋人との会話が成立しているのだ。


もちろんブログという形式上、そもそもすべては著者の独白によるのものだ。
けれど、これら2つの記事はその書き方において、恋愛の在り方のちがいを強く反映しているように感じるのである。


こうしてみるにつけ、様々な恋愛があることをあらためて思い知らされる。
あなたは、どちらに共感するだろうか?