いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

わかる人にはわかる「リアル空中リプ」を送られる辛さ

世の中には、「リアル空中リプ」という行為がある。これをされるのがぼくは本当に辛い。できれば二度と味わいたくない。しかしその対処法が未だわかっていないのである。


そのまえに、まず空中リプを簡単に説明しておこう。空中リプとは、主にTwitter上で相手のIDを付けずに「返信」をする行為だ。本来は返信の体をなさないが、相手には文意が「届く」ので返信として意味をなすというもの。ときには、空中リプで何往復もするということもある。個人的にはあまり使わないが、使う人はわりかしカジュアルに使う文化である。


さて、それに対してこの記事で話題にしたい「リアル空中リプ」とは、ネット上ではなく現実の同じ物理的空間にいる相手に対して行われる空中リプのことである。見た目は「独り言」だが、そこにいる人からすればどう見たって返信を要求しているようにしか見えない「独り言」なのだ。こんな言葉聞いたことないぞ、という人もいるだろう。ぼくの命名だ。

こうした「独り言」は、Twitterが普及する前からあったと思うのだが、これまでは名ふし難い"アレ"だった。Twitterで空中リプの存在を知ったとき、これ、リアルの"アレ"のことじゃん! とひらめいたのだ。


ピンとこない人のために具体例をあげよう。
例えば、一室であなたともう1人が、黙々と作業していたとしよう。一段落ついたところで、相手が「あー、疲れたぁ」と言ったつぶやきを、必要以上にこちらにも聞こえるようなデカい声でするのだ。この狙いは、あなたの「疲れましたねぇ」とか、「あ、そうですか?」といった応答を引き出することである。あるいは、「あれ?」とか「なんでこうなんだ?」といった異変が起きたことを伺わせる「驚きの声」をあげ、こちらに異変を伝えようとする「独り言」だ。
これらこそが、リアル空中リプである。
考えすぎだろ? 自意識過剰じゃない? と、そこのあなたは言うかもしれない。けれど、そんなことは断じてないとぼくは主張したい。聞いている人からすれば確実に、彼らは絶対に「返信」をねらって独りごつのである。人口比では1%以下かもしれないが、それを頻繁に使う人がいるのである。

本家の空中リプについてはあまり気にならないのだが、リアル空中リプがぼくは本当に苦手なのである。あれにどう対処すべきか、未だに解がわからない。
では、なぜ苦手なのだろう。理由を考えたら3つあると思う。


◆ 文字のやりとりにないリアルの臨場感が嫌

やはり、明らかに返信待ちの独り言を言われると、無視するのもなかなか難しいということがある。個人的には、文字による空気リプより、いまそこにいる人が雰囲気として返信を要求してくるリアル空気リプの方が、スルーが困難なように思える。


◆ リアル空中リプにワザとらしく返信する自分が嫌
じゃあ大人しく「返信」しておけば、つまり、相手の独り言に応じればいいではないかという話である。それは正論で、とくに相手が困っているシグナルとして「リアル空中リプ」を使っているときは、早めに応対した方がいいだろう。
けれど、経験者はわかると思うが、リアル空中リプのセリフは、恐ろしいほどワザとらしい。やる人が下手なのかなんなのかわからないが、大根すぎるのである。そんな独り言にこちらが応答したら、どうなるだろう。こちらまで白々しくなってしまうではないか。
そんな白々しい自分が許せず、「返信」できないところがある。


◆ 会話のきっかけを相手に押しつけようとする魂胆が嫌

そういったことで、返信を要求される側があれやこれやと頭を悩まされていると、今度はリアル空中リプそのものが、姑息な手段に思えてきて、ムカついてくるのである。
会話をしたいのは向こうであり、なのになぜ、わざわざこちらが話し始めたきっかけを作らなければならないのか。
人に話しかけられるのが嫌なのではない。独り言のふりをして、こちらに会話のきっかけを与えてくるあのやり口が嫌なのである。
そうなると、あえて返信してやるものか、といういじわるな気持ちが湧いてくる。



ざっと並べるとこんな感じだろうか。
リアル空中リプを連発する人自体は、けっして悪い人ばかりではない。いやむしろ、人に直接介入できないような繊細な人の方が多い気がする。
繊細だからこそ、リアル空中リプというやり方に逃げるのかもしれない。
最近こんな記事を読んだ。

「察してほしい人」が増えた日本 - ライブドアニュース


自慢したい、相手に褒められたいトピックについて、ぎりぎり自慢にならない程度の「ヒント」をあえて出すことで、先方から目当ての言葉を引き出そうとする「察してほしい」人が、増えているのだそうだ。

なんでそんなめんどくさいことをするのか。自慢話なら自分から言えばいいのではという話であるが、心理学者によると、「察してほしい」人の心理的な背景には、自分から言い出して傷つきたくない、という思惑があるのだそうだ。


ぼくには、「察してほしい」人の心理構造と、「リアル空中リプ」を飛ばす人のそれとには、共通するものがあるように思えてならない。

要は、会話の「言い出しっぺ」になるのが嫌なのではないだろうか。はじめに相手に話しかけ、会話を発生させることそのものに、負い目を感じているのである。そんなことで悩む人がいるのか、とお思いになる人もいるかもしれないが、実はぼくもこの心理はわからないわけではない。けれど、話しかけるのがめんどさいだけなので、ぼくの場合は黙っている。
ただ前にも書いたように、会話をしたいのは向こうであり、なんでそれを忖度してこちらが話しかけないとならないのかと考えると、理不尽な気持ちが湧いてくる。

「繊細」を自認する人は、わりかし他人の心理には鈍感だったりする。これはその好例のような気がする。人のことはいえないけれども。