いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

テレ朝社員の不祥事から考える"謝罪の価値"

テレ朝の社員が、制作費を着服していたことがわかった。
http://sankei.jp.msn.com/smp/entertainments/news/131120/ent13112017030007-s.htm

03年から今年にかけ、制作会社らに架空の業務代金を請求させるなどして、約1億4100万円を着服していたという。
ここまでならよくある話なのだが、この件で昨日、被害にあった側のテレ朝が、報道ステーションで視聴者にむけて謝罪を行っている。


古舘氏 テレ朝元社員の流用謝罪 - ライブドアニュース
この記事は古館伊知郎も謝罪したように書いているが、実際は「私的流用、もちろん許されることではありません。本当に、今出ましたように再発、防止。これを徹底していくということが大事であります」と事実と見解を述べているだけで、こちらの方が正しい。
しかし、そのあと女子アナがはっきりこう謝罪している。

私どもテレビ朝日は元社員に対する管理監督責任を痛感し、深く反省いたしております。今後、再発防止策に務め、徹底してまいります。このたびは視聴者の皆様の信頼を裏切る結果になったことを心よりお詫び申し上げます


謝るとしたら、影響を被りそうな株主と取引先のスポンサーなどに対してだろう。冒頭で引用した第一報も、文末でテレ朝が株主に謝罪している。これでいいのである。視聴者はこの件で一円たりとも損してないのであって、謝るのは変だ。


ちなみに、みのもんたの次男が窃盗で捕まった際、勤務先の日テレはどう発表したか。調べたが、「当社の社員が逮捕されたことは誠に遺憾です。事実経緯の詳細が明らかになり次第、厳正に対処いたします」とコメントしている。遺憾にとどめており、お詫びとまでは書いていない。
被害にあった相手はテレビの視聴者である可能性が高く、視聴者の1人なのだから、こちらの方が視聴者全体にむけて謝る道理が成り立つはずではないか?


テレ朝の話に戻ると、百歩譲って、報道機関にも関わらず自分がニュースになっちゃったてへぺろ(・ω<)という意味合いで、いわゆる「お騒がせしてすいません」という意味合いで謝罪するならまだわかる。けれど、そんなことはぼくが忖度しただけで、文面には書いていない。


なぜ「謝罪しないこと」ではなく「謝罪したこと」にこうもネチネチネチネチ小姑みたいに執着しているかというと、この謝罪が結局、"雰囲気"に流されてやったものにしか見えないからだ。
とりあえず、なんやかんや言われてるから眉間にシワ寄せて謝罪入れとこうぜ、それで手打ちにしようぜ、という意識が見え見えなのだ。全然"痛感"などしていないだろう。謝る筋合いがない相手には、謝らなくていいのだ。


なぜ、謝る必要がないときは謝ってはいけないか。これはいわば需要と供給の関係に似ている。
なんでもかんでも、誰でも彼でもペコペコ謝るということは、本当に謝らないといけない場面の謝罪も、安くなってしまうのだ。何でも謝るということは、裏を返せば、本当に非がある時でも大して反省していないことの裏返しだ。


反対に、自分のどこに非があるのか、なぜ謝らないといけないかを考えて謝る人は、謝る機会は少ないかもしれないが、その人がする謝罪は価値が高いことになる。
このことは、とりあえず謝っておこうぜ、減るもんじゃないし、と日頃からペコペコペコペコやっているぼくだからこそ、痛感しているのだ。