いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】監督失格 ☆測定不能☆

エヴァ庵野秀明がプロデューサーを務めたことでも話題になったドキュメンタリ作品、『監督失格』を観た。いや、「遭遇した」と評した方が適切かもしれない。映っていたのはちょっとした事故である。ほとんど予習せずみたからか、それくらい衝撃を受けた。

前半は、後にこの映画を編集することになるAV監督の平野勝之と、後にこの映画の主演女優になってしまうAV女優で当時平野の不倫相手だった林由美子の二人による北海道へのサイクリング旅行の模様が映される。撮影者と撮影対象のあまりに近すぎる関係と、それを見せ付けられることに気まずさを覚える。ほんと、どこにでもいるカップルなのだ。そしてどこにでもいるカップルがゆえに、その密室性をあからさまにする映像が余計にふしだらに見えてくる。
しかし後半、それまでのことがどうでもよくなるほどの衝撃的な展開が待っている。


ただ、衝撃は受けたとはいうものの、ではこの映画と「セカチュー」の何が違うのかと問われたとき、ぼくは口をつぐんでしまう。
フィクションと事実のちがいか?そんなことで本当に言い逃れできるだろうか。第一、この映画の最初から最後まで全く作為がないとは決していえないし、そもそも編集というのは作為である。
一方「セカチュー」やその他もろもろの「泣ける映画」とは徹頭徹尾、作為なのか。森山未来の胸に抱かれる長沢まさみの額でパラパラとはだける前髪一つ一つまでもが、作為といえるのか。ドキュメンタリと劇映画の間に、そこまでの距離はない。


「セカチュー」といえば、この映画の特に中盤以降、そしてラストシーンで炸裂する平野の歪んだ自己愛について、ネットを漁るとやはり批判的な人もいるようだ。ただ、個人的にはあまり気にならなかった。というより、別のある要素によってそれが相殺されていたような気がするのだ。その要素とは、由美子の自己愛のなさじゃないだろうか。
彼女にもナルシスティックな面もあるが、それは女性一般にみられるものであり、平野の「元カノを忘れることのできないダメな自分が大好き」といった手合いの自己愛ではない。境遇は波乱万丈でも、由美子はそこらへんにふつーの女性と変わらない、結婚というささやかな幸せに憧れていたふつーの女性なのだ。
その彼女の自己へのこだわりのなさが、平野の暑苦しさを中和している。そういう意味で「いいカップル」だったといえるのかもしれない。


先述したように、衝撃を受けたことはまちがいないが、その衝撃をどのように咀嚼すればいいかわかっていない自分がいるのもたしか。ということで、今回は★の評価をお休みさせていただきます。