いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「日本語でしゃべれ」とNHKは訴えられたが、これは日本語の問題ではない

昨日話題にした外来語の乱用によるNHK提訴について電子情報を眺めていたら、話が妙な方向にいっていることがあります。

というのも、この提訴の焦点が、あたかも「日本語の存亡をめぐる闘い」のようになっているのです。

しかし、これはずいぶんと話がズレているように思います。まず、提訴した男性はあらゆる外来語の排除を訴えているわけではない。NHKにおける、外来語の「乱用」を問題としているわけです。


言葉は移ろいゆくものである――そのことについて異論はありません。ぼく自身の話し言葉も、ずいぶん乱れていることでしょう。また、戦前から外来語があったなどということは、いまさら指摘されるまでもないわけです。今ある日本語が昔からある形ではというないことについては、学術的にはとっくの昔に決着がついていることでしょう。


この訴訟についてはそれらのような学術的な問題ではなく、もっと単純な話だと思うのです。ここでの問題は、現時点でNHKが老若男女あらゆる視聴者にとって「使い勝手のいい放送局」か、ということなのです。その点で、訴訟を起こした男性は異議をとなえている。
この案件について、教養のある方々がここぞとばかりに日本語に関する知識を披露なされていますが、それとこれとは話が別なのです。むしろ、そのような教養のある方々には当然理解できるかもしれないけど、視聴者の中には理解できない人もいるかもしれないようなカタカナ言葉を平然と使っているNHKってどうなのよ? がここでの問題なのです。


これが民放だったら、少し話がちがってくると思うんです。なぜなら民放の一番の顧客は視聴者、ではなく広告を出稿する私企業です。私企業はなにより消費者――とりわけ若い層のそれ――への印象を大切にします。彼らは、常に時代の先をいっているフリをしなければなりません。
そのような私企業を相手に商売するとなると、必然的に民放も若者に受けのいいカタカナ言葉を、多少耳なじみがなくても強引に使ってしまうものです(それでも報道番組は自重すべきでしょうが)。

一方、NHKの一番の顧客は、何を隠そう受信料を払う国民です。ならば、顧客である国民にあまねく伝わる形で情報を提供するのが筋というものでしょう。
民放とはちがい、NHKは公共放送という立場、そして国民からの受信料で成り立っているという経営事情からして、本来は言葉に保守的であるべきなのです。民放がこれくらいのカタカナ言葉は使ってもいいだろう、使った方がかっこいいだろうとするところでも、NHKは泥臭く日本語で表記するぐらいでいいのです。


奇しくも昨日、受信料の不払いについて、契約というものの概念を覆すような迷判決が出てしまいました。
もうそこまですんなら、受信料の支払いを憲法の国民の義務に加えた方が早くね? という呆れとむなしさを覚えますが。
NHKは是が非でも国民から受信料をふんだくりたいそうです。であるならなおさら、受信料を払うすべての国民が理解できる放送をする責任があるはずです。


と、ここまできょうは意図的に日本語だけで書いてみました。自前の語句にカタカナ言葉が多いと、日本語に置き換えるのが結構大変ですが、たまには頭の体操になっていいですよ。一度お試しあれ。