たとえばデザイナーにデザインを依頼して、できたらできたで「ごめんお金ねーわwwwwww」と約束を反古にする奴がいたとしよう。そいつはそのあと、問題が大きくなったところで満を持して野次馬から寄付金と称して金を募る。たとえそこで満額が集まったとしても、プラマイゼロになるのかというとならねーよという話だが、この広い広い宇宙には、プラマイゼロにできてしまう惑星もあるそうで。
奇しくもこれは、スタディギフトの件と同じ構図である。
大多数の善良なネット市民は、「バカじゃねーの?」と右から左へと受け渡している。けれど、その「バカじゃねーの?」が積もり積もって巨大な集積になったとき、その中の0.1%くらいは「あらちょっといいかも」が含めれている。その0.1%で、このバカの目的は達成されてしまうのだ。
ここで皮肉な話なのは、「バカじゃねーの?」の声が多ければ多いほど、その中に含まれる「あらちょっといいかも」も増えていくということだ。
人呼んでこれを炎上マーケティングという。
簡単な話だ。現行のネットでは人に注目されればされるほど注目される側が得をする仕組みになっている。
この際、その視線の温度は問わない。熱烈な羨望のまなざしであってもいいし、絶対零度の死んだ魚の目であってもいい。
そして一概にして、前者よりも後者の方が集めるのが楽なのである。
しかし、もう一度考えてみてくださいよ。あなたがどんなにムカついて批判したとしても、それは当の批判相手の得になっているんですよ。これほど禿げ上がることムカつくこともないじゃーないですか!
それはわかってるよ。わかってる、でもついついね……という話なのだ。
おそらくそれは、「無視することの評価軸」がないからなんじゃないかと思う。
たとえばTwitterで、クソみたいな内容が飛んでくるとしよう。それをあなたはクソみたいな内容だから広めたくない、と無視する。
でも、その「無視する」という行為は誰にも褒められない。だって、無視したことを知らないからだ。ここには、永遠のジレンマが存在している。
だからついつい、しなくてもいいものをリツイートしてしまう。けしからん。こんなことがあっていいものか、と。でも、それでは全部やつらの思うつぼだ。
そんなのね、無視してやればいいんですよ。そして無視できた自分を褒めてやりましょう。あれを無視できるなんてあんたすごい!!あんた素敵だよおおおおおおおおお!!!サイレントマジョリティ万歳!!!!!!
炎上マーケの唯一にして最大の弱点は、長期的で友好的な信頼関係を築けないということだ。酷いことをして耳目を集めれば、瞬間的にはPVが上がる。そのことは誰でも分かる。
けれど、だれがそんなムカつく人間のメルマガを買うのか? ということである。
じゃあ、今なにするべきか?
無視でしょ!!という具合で、今日の無視が清く正しい明日のネット社会を作るのだと思う。
もし町でイケダハヤトを見かけたら、100万回くらいあいさつしてやろうと考えている。