いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】リチャード・ニクソン暗殺を企てた男 ★★★★★

1974年に時のアメリカ大統領、リチャード・ニクソンの暗殺を企て、ハイジャック未遂を犯した上にその場で射殺された男サミュエル・ビック。彼が凶行に至るまでのプロセスを描く作品。

この映画が実際どれほど史実に忠実なのかはわからない。けれど、忠実であるかどうかと関係ないレベルで、不器用な男のドラマとしてグッとくるものがある。

サミュエル(ショーン・ペン)は家具のセールスマンだが、思うように商品を売ることができない。彼がセールスマンとして出てくる最初のシーンで、多くの観客は「ああ、これアカン奴や」と勘付くことだろう。根本的に人とのコミュニケーションが苦手な男なのだ。
別居中の妻とのちぐはぐなやりとりも痛々しい。どう考えても復縁は絶望的なのに、サムだけはなんとか彼女と子供達と家族をやり直せる信じている。そしてしつこく付きまとうが故に、ますます妻の気持ちは離れていく。
そんな彼も、親友のボニー(ドン・チードル)とビジネスを起こして一山当てようともくろむ。しかし嬉々としてビジネスプランを語る彼を、融資を審査する係の男は唖然としながら眺めている。

そう、本作の肝となるのは、主人公サムと外界の世界の絶望的なまでのすれ違いだ。いや、すれ違いと書くと、まだサムの側に言い分があるように思われるが、ちがう。徹頭徹尾サムの一人相撲なのだ。
彼は「社会が悪い!社会を変えなければいけない!」と喚き立てる。けれどそれは、悲しいまでに見当外れな認識なのである。


自分の思い通りにならない世界にいかに折り合いをつけるか。それはボニーが手本になる。整備工の彼は、車の修理が不十分だと怒鳴り込んでくる客に丁寧に対応しながらも、サムを振り返り白い歯でニカっと笑いかける。
サムには彼のような面従腹背ができない。客を騙すのは不誠実だという彼は、その「誠実さ」だけが唯一の取り柄だ。けれど、終盤発覚するある事実で、そんな自分の信念すら守れないほど彼が弱い人間であるということも、発覚してしまう。本当にダメな人間なのだ。


会社を解雇され、復縁もアウト。さらに期待していた融資の望みさえ絶たれ、追いつめられた彼の目に映ったのは、毎晩ニュース番組で顔を合わせる男、リチャード・ニクソンその人だった。

タイトルでデカデカと謡われているとおり、この映画でニクソン大統領は重要な位置を占め、全編にわたり実際の彼が映るニュース映像が使われている。
けれど、サムがニクソンに出会うことはない。サムにとって彼は、テレビというマスメディアを通してしか接することのできない虚像だ。主人公がいつまで立っても核心に触れることができないカフカ『城』と同じように、サムがニクソンという「空虚な中心」の周りを当てもなくさまよっている様は、悲しいユーモア以外の何者でもない。


国家や権力などの「大きな物語」と、「私」や家族、地域社会などの「小さな物語」が短絡的に繋がる物語コンテンツを、「セカイ系」と呼ばれる。この映画は、その「セカイ系」のグロテスクな奇形児だ。
サムの「小さな物語」の不調の原因を「大きな物語」に求める。だが、彼の「小さな物語」はほとんどどこからも「大きな物語」に接続しない。彼の「小さな物語」が不調をきたしているとすれば、彼自身に問題があるのだ。
けれど、彼はそれを認めようとしない。認めることができないのだ。
そんな彼の「俺は正しいのに社会がそれを分かってくれない」という悲しいまでに間違った独善性には、間違っているとわかっていながらも胸を打たれてしまう。アメリカ映画は本当にこういうのが上手くて、筆頭には『タクシー・ドライバー』があるだろうし、ぼくの好きな『キング・オブ・コメディ』もその系譜に入るだろう(2作ともスコテッシ作だ)。


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