いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「大人」になるとは汚くなるということ――ジョージ・クルーニー『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』90点

あらすじ
民主党のアメリカ大統領選候補者を決める予備選のまっただなか、ペンシルバニア州知事の実績を引っさげたマイク・モリス(ジョージ・クルーニー)はライヴァル候補に若干のリードを保ったまま次の選挙地オハイオ州に乗り込んだ。彼の選挙参謀のポール(フィリップ・シーモア・ホフマン)とその部下スティーヴン(ライアン・ゴズリング)は、勝敗の鍵を握るオハイオ州での投票日(スーパーチューズデー)を控え作戦を練っていた。しかしその最中、スティーヴンにあるはずのない、あってはならない相手からの電話がかかって来た。ライヴァル候補の選挙参謀、ダニーだ。

この作品、むりやりジャンル分けすると「政治ドロドロ」系映画といえるんだけれど、魑魅魍魎とした政治の世界を描いた映画というのは、大前提として腹黒い登場人物たちに魅力がなくてはいけない。ぼくがフジテレビのリメイク版『白い巨塔』の1クール目だけにドンはまりしたのも、西田敏行が出てくる料亭シークエンスが大好きだからこそだ。あのドラマは悪い悪い西田敏行が観たいがためにみていたようなもんだ(だから彼の出る『アウトレイジ ビヨンド』も楽しみ)。


この映画はそういう意味で、主たる登場人物3人のぴったりなキャスティングと、それぞれのにじみ出る存在感から、傑作と評したい。
一人目はジョージ・クルーニー。監督、脚本も手がけているんだけれど、この人、自分が世間からどう見られているか確実にわかっていると思うね。民主党の候補者で、いかにもなリベラル左派で、外見もハンサムで口も達者で、クリーンなイメージで文句つけがたいんだけど、そこまで失点がないと逆に怪しく思えてくる……というこのモリス知事のにじみでる胡散臭さは、この人にぴったり。

次に、モリスの選挙スタッフスティーヴンを演じたライアン・ゴズリング。ぼくはこの映画で彼の出た映画は三本目(一本目が『ブルー・バレンタイン』、二本目が『ドライヴ』)なんだけれど、いまのところ全て大当たりで、ハズレがない。しかも出てる映画でぜんぶ役柄が違うんだけど、全ての役でまるでちがう、新しい存在感を出している。すごい。あとに触れるけどこの映画では、秀才だけどすこしナイーヴで、若さゆえに誘惑に弱いというまだまだケツの青い男を好演。

そして、なんといってもこの映画で異彩を放つのが、モリスの選挙参謀でスティーヴンの上司ポールを演じたフィリップ・シーモア・ホフマン。いってしまえば、若きスティーヴンとは全く正反対の道を歩んで来た叩き上げの男で、いい意味で品がない。カポーティを演じた人とは思えないんだけど、この彼の剛胆ぶり、一本気なところがあとあとかなり意味を持ってくる。

さて、映画は主人公のスティーヴンことゴズリングくんのアップで始まり、アップで終わるという綺麗な構造をなしている。けれど、最初のアップと最後のアップは全く意味が違うってところがミソ。約100分の間に彼の身に何が起こったのだろう。
彼は若干30歳にしてモリスの演説原稿を任され、選挙でふるわれるその有能な手腕は誰もが認めるところだ。けれど、若さゆえの未熟さも垣間見える。
一つは、モリスの選挙をマネジメントしているのは彼の大義や理想を素朴に信じて支持しているからというナイーヴなところ。そしてもう一つは、誘惑に弱く、そんなまっさらでナイーヴな信念さえも簡単に揺らいでしまうというところだ。


そんな彼が一瞬、ほんの一瞬だけある誘惑に目を奪われたが故に、大変な挫折を味わう事になる。彼はそこで、政治の世界の本当の怖さ、本当の汚さというのを痛いほど味わう。このときの彼の「やってしまったぁ」という顔も共感したくなるいい表情なんだけど、それ以上にポールことF・ホフマンの演説ぶった長ゼリフが印象的。多くの観客はここで、スティーヴンに同情を禁じ得ないけど、一方でポールの魅力にどうしようもなく引かれることになるんじゃないだろうか(というか、このときの彼のいい分はまったくもって正しい)。

だが、転んでもただでは起きないのがスティーヴンで、今度は逆に”あるネタ”をもとに、とんでもない取引き(ビッグディールとはこういうのを言うのだ)を持ちかける。
先に書いたとおり、映画はゴズリングくんのアップで始まり彼のアップで終わる。でも最初と最後でその意味は全くちがってくる。彼は、政治の世界の汚い駆け引きのワナにはまり、その汚さを身を持って体験することによって、逆に汚い駆け引きのやり方を学習したのだ。その意味でこの『スーパーチューズデー』は、前途有望であるが未熟な一人の青年が「大人」に成長するまでを描いた、王道のビルドゥングスロマンとネガとポジの関係にある映画といえるかもしれない。


終盤に、雌雄を決したポールとスティーヴンの会話も印象的だ。あれだけの事があってもあっけらかんとして「いつか一緒に飲みたいねぇ」と言ってのけるポールの懐の太さ(こいつ、絶対またのし上がってくるぞ……)。そしてそれに平然と言って返すスティーヴンの面の皮の厚さ。
物語中、形勢はオセロ版上の石が白から黒に、黒から白に変わるように、逆転を繰り返す。劇中のおろかな選挙民たちは、最後に収まるところに収まるまでのプロセスを知らないままに、モリス候補に変わらぬ声援を送り続ける。けれど観客は知っている。裏でどのような事が起きて、どのような汚いやり取り(“手打ち“とも言う)があり、誰がどのような利益を得たのかも。
ぼくはこの映画は、こういっているようにしか思えない。


選挙は、投票前に、終わっている