いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

永遠とか一生とか運命とか言うごっこ遊び

だいぶ遅れてしまったが、金環日食について備忘録的に。
さる5月21日に各地で観測されるということで話題になった金環日食であるが、このとき付随的に少し話題になったのがドリカムで、その理由は彼らの90年に発表した「時間旅行」という楽曲に隠されている。

この後、自身の最愛の人を人生これからというときに亡くすことや、ましてやグループがトリオでなくコンビニなることなどまったく予期していなかったであろう吉田美和によって書かれたこの楽曲の歌詞には、「指輪くれる? ひとつだけ 2012年の金環日食まで待ってるから」というフレーズがあるのだ。
この歌詞めぐって、金環日食直前にはSNSでもちょっとした盛り上がりを見せ、ロマッチックにも金環日食当日にペアリングを買うカップルも出たとかはいはいよかったね。

そんな乙女心をくすぐるロマッチックなエピソードであるが、これを読んだときにやはり感じざる得ないのは男と女の現実認識の差異というかなんというか。
つまり早い話が、(2012−1990=)22年も遠い先の未来についての約束を「待ってるから」と差し押さえでもするかのごとくとりつけることは、女にとってはロマンチックかもしれないが男にとってはサイコホラー以外の何ものでもない。
「永遠」だとか「一生」だとか「絶対」だとか、男はそういう途方もない言質をとられることを極力さける習性の弱々しい生き物だ。こうした習性の背景には、自分でもどうにでもならない「股の下のポニョ」(@ビートたけし)という「内なる他者」の存在も大きいが、もっと大きいのは、そんな先のことなんか確信をもって返事できないという、その不確定性の前での尻込みなのである。逆に言えば、そんな途方もないことでも軽々しく聞けてしまう女の大胆さへの恐怖でもある。
もっとも、「待ってるから」には女ならではの生物的戦略も隠されており、妊娠出産育児などを考えれば早いうちにすこしでもましな種とATM候補の首根っこをつかんでおいた方がいいという打算もそのロマンチックには含有されているのかもしれないが。

いや、これはむしろ、その約束の途方もなさを前にたじろぐ男よりも、22年の間にいろんな男と同じ「待ってるから」や「運命」と約束を取り付けながらもシレッとその候補の中から選んだ男とのそれだけを「運命」と思い込める女のしたたかさに着目すべきだろうか。


ここまで読んでくれた女性に一つ覚えておいてほしいのは、男があなたの発した「絶対」や「一生」や「待ってるから」にたじろぐとき、彼に愛情の欠如や無責任さ、日和見主義だけを見るのでなく、そこに、ある種の誠実さや否定神学的にしめされる責任感(責任が持てないという自覚がある故に発揮される責任感)にもちゃんと目を向けてほしいということだ。

と、そんなことを女の子と話していたら、「考えすぎw『一生』とか『絶対』とか『運命』なんていうのはただのごっこ遊びなんだからマジにならずつきあってあげなよwww」という返答がもどってきたのだが、それをごっこ遊びでやってのけてしまうその大胆さにこそこちらは驚いてしまうわけで。