いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「限界シリーズ」はなぜわかりやすくておもしろいのか?〜高橋昌一郎『感性の限界』書評〜★★★★★★★★★☆

タイトルでいきなり結論めいたことをいってしまったが、ぼくが大富豪ならば100冊くらい買って友人知人に配り、あまったら道行く人に配り歩きたいくらい、この『理性の限界』と『知性の限界』の「限界シリーズ」を絶賛したい。そして三冊目にあたる本書も期待にたがわずオススメな一冊だ。



本書のテーマは、先に『理性の限界』が出ているためわかりにくいかもしれないが、一言で言えば「人間理性の限界」だ。

フロイト精神分析に代表されるように、20世紀以降は科学も哲学も、「自分の知らない自分」が一つの大きなテーマであった。本書はそうした問題意識の中から生まれた行動経済学ミーム、最終的にカミュ実存主義にまで話が広がるが、本質的には二重過程理論を中心にした「自分」の中の「自分の知らない自分」というテーマをもって大きな秩序をなしている。テーマがテーマだけに、読みながら自分の立っている地面がグラグラと揺らぐような体験をすること必至だろう。

本作も前二作と同様に、シンポジウムの体でさまざまな立場、考え方の「主義者」さんたちが集まり、あーでもないこーでもないと議論を重ねていく。「急進的フェミニスト」さんや「カント主義者」さんなど、極端なまでに戯画化された各種「主義者」さんたちは相変わらずキャラが立っていて笑えるが、今回は人間の内なるものという哲学的なテーマだけに、本当の意味で活躍する箇所があったりする。「司会者」さんの冷酷なお告げ「そのお話は、また別の機会にお願いします」の切れ味も冴えわたっている。



ところでこのシリーズのセールスポイントは、なんといってもわかりやすいことだ。ではなぜわかりやすいのだろうと考えたら、それは「コミュニケーション・プラットフォーム」がふんだんに盛り込まれているからではないだろうか。
コミュニケーション・プラットフォームとは、内田樹氏による造語だ。

みんな、いったん「そこ」に来る。
行き先がそれぞれ違うから乗り込む車両は違う。
でも、誰でも一度は「そこ」に立つ。
「そこ」に立たないことには、そもそも話が始まらないし、たとえ乗り込む列車を間違えても、「そこ」に戻ればやり直しが利く。
そういうプラットホームがコミュニケーションにおいては、必要である。
文章について言うと、「この文に関してだけは、書き手と読み手のあいだに100%の理解が成立している文」のことである。

(中略)
「私の話、わかりますか?」という問いかけは「私の話」には含まれていない。
この問いかけの意味するところが理解できない聴き手は存在することがそもそも想定されていない。
「その意味するところが理解できない聴き手は存在することがそもそも想定されていない(し、現実に存在しない)」ような文のことを「プラットホーム」と呼ぶ。

コミュニケーション・プラットホーム (内田樹の研究室)

「コミュニケーション・プラットフォーム」とは、「後ろの人、私の声は聞こえますか?」というように、そのコミュニケーションの前提を作るメタ・コミュニケーションのことだ。
読んだことのある人なら、この「限界シリーズ」の中で「コミュニケーション・プラットフォーム」を担っているのが誰か、すぐに見当つくだろう。それは「専門家」たちではなく、「司会者」や「会社員」などの科学や哲学に疎い「素人」たちだ。この「限界シリーズ」がわかりやすいのは、ずばり、専門家たちの説明が簡略で巧みであるということ以上に、彼ら「素人」の存在が大きい。
言い換えればこの「素人」たちの会話は、読み手にとって思考の「ブレス」にちかい。「専門家」の難しい話が長々とつづき読者が頭の息継ぎを欲しくなったときに、タイミングよく彼ら「素人」が質問を差し挟む。彼ら「素人」の発する部分だけは誰でもわかる話であり、なおかつそれまでの議論の整理や話の補足を促すような効果をもっているのだ。
会話文で進行する独特のスタイルをとったことも「勝因」の一つだろう。普通の文章にも「コミュニケーション・プラットフォーム」は設定することはできるが、複数人での会話という設定にして役割分担することで、どの文が「プラットフォーム」であるかがよりいっそう際立ってくるわけだ。
「限界シリーズ」はこのようにわかりやすいのだが、本来難しい話がわかるということは、問答無用におもしろいのだ。


悔しいほどよくわかってしまうし、悔しいほどおもしろいのだけれど、読みながらもった感想さえも最後に書かれており、この本でいうところの「アンカリング」によって誘導されたかのようでさらに悔しい。

方法論的虚無主義 「科学」を視野に入れない「哲学」も、「哲学」を視野に入れない「科学」も、もはや成立しないことは明らかじゃないか!いいかげんに理系と文系という構図に拘るのは止めたらどうだ!
p.245 太字原文ママ

いや仰る通りですよほんと。