いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

結局恋人の良し悪しは別れたときにしかわからないんじゃないか仮説

―――私はこの人と付き合って本当にいいのかしら…?


そんな悩みはどの時代にもあると思います。ネットの世界にも、「いい男を見つける5つの法則」だとか「地雷女の10パターン」だなんていう、日常の所作から恋人としての良し悪しの推量を提案するブログ記事が枚挙のいとまがないですが、タイトルにあるように結局は別れるときにそういうのはわかるんじゃないかと思うのです。

というのも、最近アメーバピグの一件があったじゃないですか。

D

公式ブログにこの件に対して残された“面白い”意見というのが、こんな風に動画でまとめられているんですが。
これを眺めていると、現代の10代がおそらく人生で初めて「自分の交友圏外の人間(つまりツーカーでは気持ちの伝わらない相手)にたいして、自分の感情や意見を説得的に伝えなければいけないという喫緊の課題」に迫られたときに、どのような文章を書いてしまうかというのがよくわかるわけです。
会員やめるぞ(本気)」とか
スタッフガイジだwガイジ。ガイジ。ガイジ。
差別だ。差別。差別。」とか
お前らの勝手な行動で世間を困らすなよ。
モンハンのゲームに変更ナウ」とか
僕の言語感覚では到底生み出すことのできないような表現力豊かな作品の数々なのですが、それはともかく。
これらを読んでいるとある既視感に襲われたのです。

おかしすぎるでしょ
あたし達小学生・中学生の事なんだとおもってんの
こんなんやってると、会員どんどんへってくよ

本当にそうゆうのやめてください
最近はじめたばっかですよ
15歳未満の夢を奪う気ですか?
そんなんだったら
みんなピグやめますよ?
ピグの人気もこれでガタ落ち
決定!!!

みんな15歳未満のやつはやめると思う
ざま〜みろ
こんなことをおかしいとおもえ

ここにはある定型というか、共通点が見られると思うんですね。それは、「俺たち/私たちを切るなんてアメーバピグも終わりだね」という定型です。捨て台詞というか、後ろ足で砂をかけるというか。冷静さを装っているところが逆に書き手の余裕のなさを浮き彫りにしているのですが、僕はここに妙な既視感を覚えました。そしてそれがどこからくる既視感かと考えたら、わかったんです。

これって、別れ話でフラれるときの捨て台詞「俺/あたし以外の男/女がお前/あんたなんかとつきあうわけねーだろ/ないじゃない」と同じ構造をしてるんですよね。相手の地位を相対的に貶めることで、自分に振り向かせようとする方法。そんなことを言うことで、かえって自分自身を人間として絶対的に貶めているのにも気づきもしないで。

こんな風に別れるときって、結構人間性が出ると思うんです。なぜならそれは極限の現場だからです。

僕はファミレスやファストフード店で赤の他人の別れ話を3回目撃したときがあります。この頻度が多いのか少ないのかはわかりませんが。
それで、その三回がすべて男側がフッている現場だったのですが、女性の側がすごい剣幕で相手へ悪態をつくんです。まくし立てるんです。これほどまでに悲しいことがあるだろうかと思います。一度は永遠を誓った(たとえそれがその場のノリだとかテンションだったとしても)相手なのに、こうまで憎しみをぶつけることができるのか。しかもその高圧的な態度で復縁を迫っているのだから、不思議な話です。日頃の相手への接し方が抜け切れていないのでしょうか。交渉(しかも自分が比較的弱い立場の場合のそれ)の態度じゃないですよね。

さっきの「俺以外の〜」と同じで、その行為を行うことが当の目的の達成を一番遠ざけているというか、「それをやっちゃあおしめーよ」なわけです。

結局、別れ話のときにそうなるということは、あることが事後的に決定します。それは、その人が恋していたのは恋人ではなく、「恋人から承認される自分」であったということです。それが事後的に証明される。

だって、本当に相手のことを好いていたのであるなら、相手に離別を宣告されて悲しみはしても、憎しむことはないでしょう。そこで激烈な攻撃性をあらわにするということは、何かの防衛機制が働いているはず。そしてそれはおそらく、「恋人から承認される自分」を守るための防衛、「承認を失った自分」を認めたくないがための素振りなんですよ。

だから思うんです。
結局、恋人がいい人かどうかは別れたとき、もしくは別れの後にしかわからないんじゃないかと。

では反対に、フラれる側はどうすればいいんでしょうか。
ここまで読んでくれた人ならわかりますよね?
これから別々の人生を歩む元恋人に幸せを祈るしかないのです。「恋人の幸せを祈る」は簡単です。「元恋人の幸せを祈る」ことが、なかなか難しい。「恋人の幸せ」より介入できる余地がないし、そもそも相手にこちらへの思い入れが薄れている分、すなわちこちらへのリターンがない分、なおさらです。しかし、これこそが「祈る」に近い。これこそが「無償の愛」と言えましょう。

恋愛では人は成長しません。むしろ人は別れで成長すると思うんですねー。