いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

女の子の便利だけど欲しくはないもの

昨年夏に突然「男の赤ちゃんの父親になった」とフェースブックで告白したクリスティアーノ・ロナウドだが、これまで素性が一切明かされていなかった母親が、20歳のイギリス人学生であったことがわかった。


 デイリー・メール紙(電子版)によると、クリスティアーノとこの女性はロンドンのナイトクラブで出会い、一夜限りの関係を持ったそう。女性の妊娠がわかるとDNAテストが行われ、クリスティアーノの子どもであることが明らかとなったという。女性はクリスティアーノから1000万ポンド(約12億6千万円)の大金を受けとる代わりに、子どもの親権などを放棄し、このことについて家族や友人と話をすることさえしない、と約束。クリスティアーノは母親の詳細を一切伏せたまま、男の子を自身の保護のもとポルトガルで育てると発表した。


(以下略)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110104-00000010-flix-movi


この子供の行方もさることながら、この記事を読んでいて僕はまず考えたのは「どうして彼は結婚しないのだろう」ということ。相手がタイプじゃない、他にも彼女がいる等いろいろ考えられるが、「結婚をするメリットが感じられなかった」というのもその要因の一つだと思った。


サッカー界随一の高給取りでありイケメン、クリスティアーノ・ロナウドほどの男が、結婚したくらいでほっとかれるはずがない。彼女がいるだけならまだよい(よかないか)。しかし結婚という契約があったとすれば、一事が万事ならぬ一夜が万事になりかねない。


現に彼の先達といえるトップアスリートのタイガー・ウッズは、それがもとで散々な目にあったではないか。ウッズのあれは、セックス依存症という彼のパーソナルな問題だけに還元されるべきものではない。性的、経済的強者になればなるほど、結婚はデメリットばかりが目立つ行為になっていくのだ。


一方、弱者にとって結婚は確固たる生存戦略になり得る。まず、結婚にはルームシェア的な側面がある。どちらも働いているならば収入も増える。また仕事などの日々の営みで疲弊した心の支えになってくれさえもする。さらにモテない男女にとっては性的対象として求めていい相手を持つということになる。もちろん合意が取れないならば強要はできないが。


そう考えると、結婚は明らかに(経済的、性的)弱者の生存戦略と考える方が妥当なのだ。大半が仏教徒の日本人でも結婚になると教会にかけこむというのは、その意味で象徴的だ。





ところで、ohnoさんの最近のエントリーが話題になっている。

夫が職場の人から聞いてきた話。



最近、高校3年や大学4年で妊娠する女の子が増えているそうだ。その人の近所にも数人そういう娘がいて、他でもそんな話をポツポツ聞くという。

高校や大学の最終学年というと就活まっただ中の人が多い。しかしその女の子たちは、社会に出て僅かな報酬のために苦労しながら働くのはまっぴらだと思っている。そこまでやりがいのある仕事なんかないし。

しゃかりきに働きながら一生独身を通すのも、仕事+家事育児分担という共稼ぎスタイルも、どっちもしんどそう。専業もセレブでない限りつまんなそう。労働も結婚もいや。でも子供はほしい。



そこで、つきあってる男の子供を計画的に妊娠する。親バレし、就活どころではなくなり、男も外堀を埋められ逃げられなくなってでき婚。

しかし娘はその男と結婚したいのではなく子供がほしかっただけだから、数年経つと男もハメられてたことを知り、夫婦仲はうまくいかなくなって離婚。


女の子の欲しいもの - Ohnoblog 2 女の子の欲しいもの - Ohnoblog 2


議論を全体化することはできないだろうが、この記事に「あり得るライフプラン」としてのリアリティを感じるのはなぜだろうか。


フロイト精神分析は、女を男よりもナルシシズムの気質が強い生き物と考える。「自分を愛してくれる人」を愛すのだ。
しかしそんなナルシシズム的な女も、子供を産むことで「完全な対象愛に到達させる道が」あるという。「子供とは、女性の身体の一部が別の対象として現れた存在」であるからして、「ナルシシズムに従って、子供に完全なる対象愛を注ぐことができる」からだ*1


だがそんな精神分析理論を引っ張り出してこなくても、現代日本の男女の溝が深まっていくばかり。男は男同士、女は女同士でいた方が断然楽しいということが半ば「ネタバレ」してしまった今、晩婚化と非婚化に拍車がかかっている。離婚の理由の第一位が「価値観の不一致」となるのもうなづける。「男の価値観」と「女の価値観」の完全一致なんて土台無理な話で、あとはそれをすり合わせていくお互いの根気と体力が続くかどうかだ。
たいして愛していない(愛する必然性を感じ得ない)夫なんかより、女がお腹を痛めて生んだ我が子に思いのたけを募らせるのは、無理からぬことではないか。


さて、先に結婚は弱者の生存戦略だと書いた。娘は学生でありおそらく経済的には弱者と呼べよう。
しかし、この筋書きの中で娘が寄りかかるべき夫との結婚という関係は、すでにない。
ここで彼女と彼女の子供のシェルターとなるのは、本人の結婚ではなく親の結婚なのである。

子供を抱えて生活能力もない若い娘の生活は、当然すべて親がかりとなる。

ブツブツ言っていた父親も孫の顔を見ると娘の言うなりで、母親に至っては娘と同居し思う存分孫の面倒を見られるので大喜び。

甲斐性のなさそうな婿なんか、最初からいなくていいのだ。娘と孫さえ手元にいればいい。



こうして娘の手には、当面の楽チン生活と子供という欲しいものだけが転がり込んでくる。

父親はまだ働いているし(というかこうなったらまだまだ頑張って働かざるを得ないし)、家事は母親がやってくれるし、自分は衣食住の心配をすることなく子育てに専念できる。バツ1子供ありの親元暮らしなんて今時珍しくもないから、後ろ指指されることもない。

仕事と家事育児に追われながらの、低収入の若い男との下流生活に比べたら、天国だ。


同上


つまり両親の結婚が、娘のみならず孫のためのものにもなる、というのだ。
言い換えれば、娘のストレスフルな結婚生活が、もうすでに名ばかりでストレスすら感じえないほど形骸化した両親の夫婦生活へと外部委託されているかっこうになる。





ohnoさんの記事を読み終えて考えたのは、これが長期的な存続には不向きなライフコースになるだろうということ。
両親の死後、潤沢な遺産が入ってくるか玉の輿にでも乗らないかぎり、働き始める前に出産を迎えた娘は、どちらにしろ仕事をしてお金を稼がなければならなくなる。その一方、生まれた我が子は着々と大きくなっていく。養育費は別れた元夫が持ってくれるかもしれないが(かといって絶対に出してくれるとはかぎらないのが現状)、けっして安泰とは言えない。


自分がとっくの昔に夫と離婚しそこに頼りえる結婚が存在しないため、子供が娘の場合、自分と同じような(結婚をパスし、育児だけに専念する)ライフコースを歩ませることは難しい。もし同じことの繰り返しになったとすれば、自分の両親が二人がかりでやってくれたこと(労働・家事)を、今度は祖母として自分一人で切り盛りしなければならない。制度としては後続世代へ行くほどどんどん摩耗していくものになっていくだろう。もちろん、医療技術の進歩によって日本は長寿大国となった。もしかすると、娘の娘(つまり孫)の出産にも両親は立ち会え、もしかするとひ孫の養育を担うのかもしれないが。


育児も教育も、「今ここ」だけで完結する問題ではない。「今ここ」でできた負債は「今ここ」で返さなくてよかったとしても、将来必ず返ってくる。そして「今ここ」で生まれる負債のたいていは、だれかの「今ここ」においてのエゴイズムの所産である。
僕がohnoさんの語るこのエピソードに慄然としてしまうのは、このエピソードの(娘に安易な選択をとらせ続ける両親を含む)登場人物だれからも、「今ここ」の負債を先送りするエゴイズムを嗅ぎ取れてしまうからだ。

*1:フロイト『エロス論集』「ナルシシズム入門」p.256