いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

みうらじゅんが唐突に「いいこと」書きはじめるからこまる

先ごろ経営破たんした理論社から出ているみうらじゅんの『正しい保健体育』という本を読んでいた。
冒頭でいきなりWHO憲章を引用した上で「意味が分からないですね」とバッサリ切り捨てることから始まるこの本は、みうらじゅんが新たに「正しい保健体育」を伝授するという名目で話が進む。
「もともと男子は、金玉に支配されるようにできてい」るのであり、「義務教育は『支配からの卒業』」であるという独自の「保健体育」を構築し、快調に笑いを飛ばしながら進むのだが、「健康診断」という項で唐突に「来る」のである。

 しかし、矛盾するようですが、毎年の健康診断は欠かしてはいけません。健康診断は嫌なものです。採決したりバリウムを飲んだり、そんなことを好き好んでやる人などいません。
 それでもなぜ、健康診断を受けなくてはならないのか。それは「大切な人のために」なのです。
 大切な人のためにやるべきことでもっとも大事なことは、「その人より長生きをする」です。その人の死に水を取ることなのです。大切な人ができたら、その人より1日、1時間でも長く生きていなくてはなりません。
 大人になってからは奥さんのためですが、青春期に健康診断が義務づけられているのは、「大切な親よりも先に死んではいけない」からです。
 診断後、その健康診断表を大切な人と比べるのです。そしてひとつでも負けている部分があれば、そこを改善していかねばなりません。「大切な人」はナチュラルに生きていいのですが、「大切な人を思う人」はそのように不自然に生きていかねばならないのです。
 (中略)
 結婚して子供ができて、大切な人が「自分の子供」になった場合も同様です。どれだけ相手が若かろうが、大切に思ううちは死んではいけません。もちろんそうなると、60歳の息子がいる90歳の親も、いつまでも死んではいけないということになります。
 しかしそこまで生きなくとも、だいたい「お父さん、もういいよ。ありがとう」発言が子供のほうから出ますから、それを聞いたらもう、逝っていただいてもかまいません。
 将来、みなさんの子供が成人したら一度聞いてみましょう。「もういいかい」と。そこで「まあだだよ」と言われたら死んではいけません。「もういいよ」と言われたら、そこから「余生」が始まるのです。


pp48−50



この小節の後も、喫煙はピロートークの間が持たない人がしていることだとか、女子だけが体育館に集められて見ているのは何の映画?という質問に「ゴダールの映画です」と即答したりとボケ続けているお人なのだ。
なのに、なのになぜだかここだけ外さずにすっごく「いいこと」言ってないだろうか。
書かれてあることは、言ってしまえばすごく当たり前のことかもしれない。当たり前なことを、飾り気なく当たり前に書いている。けれど、つらつらと書き連ねる彼の文章にそれを書くことに対しての、変なテレがない。だからこそすごくストレートに届いてくる。


これは氏の別著『青春ノイローゼ』を読みながらも思ったことだが、僕はこの人、ひょっとしたらマザコンなんじゃないかと勘繰っている。
ただし、ここで使う「マザコン」には必ずしもネガティブな意味合いを込めたつもりはない。
日本男子の多くは、どう抗おうと多少なりともマザコンの気がある。そこで大切なのは、自分のその「マザコン性」にいかに向き合うか、その向き合い方だ。
いつもはエロやバカに満ちていようと、いつもはピエロでいようと、家族に対して考える段では男としての勘所は外さずに真摯に向き合う。そんなみうらじゅんの自身のマザコン性との向き合い方は、徹底的に素朴で、飾らず、同性の僕からすればそれがなによりもかっこいい。
こういう文章を読むにつけ、みうらじゅんにまたしても「やられた」と思うと同時に、彼が現在日本一のマザコン男いや、日本一“かっこいい”マザコン男との確信をまたひとつ深めてしまう。
こうかっこいい姿を見せられると、素直にこういう男になりたいと思ってしまうのだ。