Twitterドラマに不満を持つのは、カーアクションを見て「俺はこんな危ない運転しねーよ」と不満に思うのと同じでしょ?
まぁ、タイトルでほとんど言いたいことを言ってしまっているわけだが。
昨日放送されたフジテレビ系ドラマ『素直になれなくて』。ドラマ内でTwitterが登場するということで、放映前からTwitter界隈では不安視する声が上がっていた。その不安はわからんでもない。こういう「新しいもの」が既存のマスメディアにとりあげられるとき、どうしてもそこには作り手の「わかってなさ」が漂ってしまう。そしてそれは誇張やかっこわるさとなって表出する。「んな使い方してねーよ!」と使っているこっちがこっぱずかしくなるような、そんな経験も何度かある。
そしてついに、その『素直になれなくて』本編第一話が昨日放送されたのだが、どうやら「期待通り」だったらしい。早くもいろいろな「つぶやき」が流れている。
例えばこれ。
まとめよう、あつまろう - Togetter
体勢を占める声を代弁すればやはり、「露悪的に描きすぎだ」というところになるだろうか。否定的な見解が多分を占めている。
ところで、ここまで書いてお察しの通り、実は僕はこのドラマを視ていない。視てから書けよという話であるけれど、視ていようといなかろうと、その酷さを知っていようと知っていなかろうと、書けることがある。
それは、どんなにドラマがTwitterの実状と乖離していても別に気にすることないじゃん、ということ。ドラマも映画も日常を乖離したフィクションであり、「トンデモ」であったりまえなわけだ。それに今更目くじらを立てるのはいかがなものだろうか。
確かに上のトゥゲッターを目にすると、少なからぬ人が現実世界での「実害」に遭われたらしいのだけど、それはおそらく過渡期的な現象だろう。Twitterを使う側も、使っていない側も、そしてそれをテレビドラマで取り上げる側も、まだまだその位置づけを明確にできていないのは事実だ。
いやでもマスコミの影響力というものがある、という考えかたがあるかもしれない。なんでこういうときに限って日頃「マスゴミ」の「影響力の低下」を叫んでる人たちに限ってそういうことを持ち出すのかはよくわからないんだけれども、昨日の放送は視聴率約11%だと聞く。連ドラは初回の数値で決まるというから、たぶんこれ以後、下降はしても上昇することはないだろう。それに、キムタクがでる大ヒットドラマでさえやっと「彼が劇中着てるダウンジャケット売れた」程度のもんなのである。
それよりも、こういう事態になるたびにTwitter内で「どうせ使ってね−おめーらにはわかんねーよ、ふん!」というギスギスした雰囲気がながれ、内で変に帰属意識が高まってしまうほうが、僕はマズいんじゃないかと思う。例のリンゴマークの会社が好きな人の中にもいるのだけれど、この帰属意識は強くなりすぎると、傍目からしたら近寄りがたい怖さに豹変するときがある。
帰属意識というのは大事ではあるけれど、それが強まりすぎるとときとして、外部の人と分かつ境界線を明確にしてしまい、帰属する成員の拡大の足を引っ張ってしまう、という事態が起きる。特にTwitterがコミュニケーションインフラたりえるためには、現時点で使っている人にとっても、とりあえずユーザーの規模の拡大をし続けることが必要なのだから、それだけは是非ともさけたいところだ。
外からの勘違いな言及にいちいち目くじらを立てずに、いわば「ビギナーズフレンドリー」や「アウトサイダーズフレンドリー」になったほうがいい。それによっていつか、回り回って僕らはもっと良質な「Twitterドラマ」にいつか巡り会えるのかもしれないのだから。