Yahoo知恵袋の過去のやり取りを漁ってたら、こんなかわいらしくもあり面白い質問が寄せられていた――
「クリスマスにサンタの格好してよ。。」と彼氏に言われました。 本気なのでしょう...ID非公開さん
「クリスマスにサンタの格好してよ。。」と彼氏に言われました。
本気なのでしょうか?そして、ほんとにしたら引きますか??
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q131409538
たとえ本気でなかったとしても、別にんなことをやって男も引きはしないだろうしなぜにこんなに深刻になってんだと思うと、こういうことまでネット上の赤の他人にお伺いを立てる質問者の初々しさというか、慣れてなさなんかが透けて見えたような気がして、勝手ににやけてしまうのだけれど本題はそういうことではない。
解答が寄せられている欄を見てようやく合点がいく。
ID非公開さん
かわいいサンタのやつあるじゃない。
それを着てあげれば?
彼氏にはトナカイになってもらえば最高だと思います。
回答日時:2004/11/9 18:41:4
ID非公開さん
皆さんの言う通り、ミニスカートサンタだと思います。
間違えて、白髭とかつけないで下さい!!
回答日時:2004/11/9 18:43:21
あぁ質問者さん、彼氏さんから頼まれた「サンタの格好」って、あのガチの「サンタクロース」を思い浮かべてたのね。もしそうだとすると、話もすんなり飲み込めてくる。
サンタさんなんて気安く呼ばれているけれど、所詮あんなのフィンランド出身の大男だからね。あの真っ赤な「防寒着」に大きな赤ら顔とそんな顔を覆うほどに生えた白髭ヒゲまで「完コピ」してしまったら、さすがに恋人たちのクリスマスを彩るムードもへったくれもない。もし質問者がそれを実行に移すか悩んだ末にここに書き込んだのなら、それは正解だった。
ここで話を最初にもどすと、なぜ僕らがこの質問者(おそらく女性)の質問に最初当惑してしまう(そんなのことで彼氏引かないよ〜と思う)かというと、僕らはサンタの格好、あるいはサンタのコスプレと聞いて思い浮かべているのが、もはや本家本元の「サンタクロース」とはかけ離れた別のイメージだからだろう。恋人、特に女の子が聖夜にパートナーのために着てあげるのは、実際にはサンタ“風”のセクシー衣装に過ぎない。それは厳密には“サンタさんの”コスチュームプレイではないのだ。
なぜサンタのコスプレではないかというと、女子たちがこぞってする“あれ”は、まずズボンでなくミニスカートだし、付け髭もつけていない。イメージカラーは辛うじて赤ではあるものの(それでも調べると黒とかに改編したものもあった)、あの衣装は過度に女性化され、まるっきりサンタさんのコピーではないのだ。かといってサンタさんのパートナーか何かの別の「キャラ」かと言われると、そうでもない。子どもたちに「サンタさんの絵」を描かせてみても、トナカイまでは付随的に描かれていたとしても、まずあのサンタらしき格好のセクシーキャラまで描かれる可能性はないだろう。少なくとも今のところは社会的認知はされていない。よく考えたら“あれ”(としか今のところは名付け得ない衣装)は不思議なもんなのである。
じゃああれは何だって言うと、むしろあれはサンタさんの「女体化」に近い。
だれが最初にああいう風にサンタさんを脚色したのか。その起源には実は僕はあまり興味がなくて、それよりもなぜに僕らはあのサンタ風セクシーコスチュームに魅せられるのか、ということだ。正直な話、僕だって恋人に一度はあれをしてみてもらいたいものだ。
ここで、ラカンの「女は存在しない」という命題に立ち戻ってみよう。「女」という性は実体的には定義不能であり、常にそれは「化粧」として立ち現れる。彼がそのことを説明する際に使う、古代ギリシャの画家ゼウキシスとパラシオスの挿話がある。どちらが真に迫っただまし絵を描けるかという競争をした際、ゼウキシスの描いた葡萄の絵には本物と間違えて鳥が突っつこうとした。一方パラシオスの描いた絵の前にはカーテンが掛けられていて、ゼウキシスがカーテンを取り払うように彼に要求すると、実はそのカーテンこそが彼の描いただまし絵だったことが発覚。パラキシオスが勝利する、と、こんな話だ。
この挿話でラカンが言いたいこととはつまり、「女」とは実体的な何かではなくそれを覆う覆いそのものであるということ。そしてそれはつきつめれば、男に限らない、すべての女のする装飾は元来女装的なのである、ということではないか。だからとどのつまりは、あらゆる「女性」が「女体化」を通過しているといってよいのだ。
それではなぜ、サンタの女体化が好まれるのだろう。
こう考えてみてほしい。この世界には昼と夜、戦争と平和と同じような対の関係として、(もちろんジェンダーとしての)「男性」と「女性」しか存在しない。この2者は、昼/夜、戦争/平和の対と同じく、対となるものがなければ、自らの実体さえが定義不能ような、コインの裏表の関係を成している。
ではもし、「女」という絵があったとして、それを最も際立たせるのには、いったいどうすればいいだろう。最良の選択肢は一つしかない。それは「男」というキャンバスに女の絵を描く、これにつきるのではないだろうか。「女」という表層を、「男」という性ほど純粋培養できるキャンパスは、他にないにないのだから。
そして、いわずとしれたサンタクロースとは元来、その巨躯に顎髭、父性的な面影など、あまり指摘される機会はないが実は、マッチョの記号をふんだんにまとった、きわめて男性的なキャラクターなのである。だからこそ、僕らはサンタさんの表面に女体化という歪みをへて現れる「女」に、欲情できるのではないだろうか。
と、本当はこんなことを書くつもりなかったんだけど思いついたもので。来年はクリスマスは今年のネタを繰り越して、「知ってた?サンタさんが赤いのはここに来る前に道行くバカップルをなますにしたときの返り血なんだってさ」という文章を書きたいと思います。