いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

湧井とベロン―お金にまつわるパラドクス―

もしかして知らない人も多いかもしれないが、暖冬といいながら最近めっきり寒くなってきた。四季があるのを日本の美徳のように説く野郎がいるが、僕はその意見に全然納得できない。地球が公転する以上、女子たちの露出度が高くなってウハウハな夏の反動は、寒くて凍え死にしそうな冬となって返ってくる。僕はだから、地軸を恨む。地球よ、なぜお前は太陽に対してそんなにも首をかしげるのかよ、と。


プロ野球もオフということで先月下旬あたりぐらいからだろうか、各球団の主力選手たちの契約更改のニュースがスポーツコーナーなどで流れていたりする。僕は、というか大抵の人が興味を持つのはおそらく、円満な会見、つまり選手側が提示された金額に満足してサインした日の会見、ではなくて、円満には追わなかった会見、つまり「んな条件でサインできるかっ!」と書面を球団側に突き返しての「保留」の構えを示す会見を見る方ではないだろうか。

カメラのフラッシュを浴びる中、「納得がいきません」とコメントするあの表情。シーズン中自らが放ったホームランについても、並みいる強打者から次々に奪った三振についても、いつもぶっきらぼうなコメントしか残せなかった選手であろうと、ことに契約更改にては歯切れ良く、きっぱりとコメントする。そこに「人間」が見られるから、僕は好きなのだ。
もちろん保留する多くの選手は、自分のそのシーズンに成績に提示された額が見合っていないという、正直な思いをぶつけているのだろうけれど、どっちみち心の中では「うわ、俺もっと金くれって言ってる」というやましさがあるはず(いや、わからないけれど僕が選手ならきっと思っている)。そのいろいろな感情が渾然一体のコラージュとなって表出したあの独特の表情は、なかなか見れるものでもない。


そんな契約更改なのだが、今季は例年になく「円満な会見」が多いのは、僕の気のせいだろうか。なんか物足りないと思っていたそんな矢先の昨日である。待っていたしましたとばかりに、西部のエース湧井がぶち上げてくれた。

西武の涌井、2億円を保留12月15日17時55分配信 時事通信

 西武の涌井秀章投手(23)が15日、契約更改交渉に臨み、8000万円増の2億円の提示を保留した。16勝(6敗)で2年ぶりに最多勝に輝き、投手最高の栄誉、沢村賞も初受賞。希望額とやや開きがあるとみられ、「評価のされ方が物足りなかった。沢村賞のすごさを分かっていないと思う」と不満そうだった。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091215-00000117-jij-spo


2億である。
2円おくんとちゃいまっせというのは往年のトミーズのネタではあるが、すごいレベルの話である。まだ23才、今からなんぼでも稼げるやんという下々の民の僕なんかは思うのだけれども、彼が不満に持つのは同級生であるダルビッシュが先に3億円オーバーで更改したことも、少なからず影響したのではないかと思う。縦社会を生きる男には、同世代に対するメンツってものがある。上の人間が自分は上回るのは平気のクセに、同世代か自分より下には譲れないという、まことにめんどくさい、みみっちい見栄に過ぎないが、それを見すごすことができないのが「男」なのだ。

しかし繰り返すが2億である。「沢村賞のすごさを分かっていない」と彼はすごむが、「お前こそ2億円の価値わかってね〜よ」とその辺のイヌでも言ってるんじゃなかろうか。野球選手の契約更改とかけまして、女の化粧と説く。その心は「繰り返すうちに、だんだん感覚がマヒしてくる」。


そんなわけで、普段どちらかというとぼさっとしていて、異性の特に年下好みの女性からかわいいと言われてそうな彼(単なる想像)であるが、今回の一見で少なからず、「意外としっかりしてる」とか、「人間らしさ」、はたまた「がめつさ」を垣間見せてしまったわけである。



一方で昨夜、また別のこんな「スポーツ選手とお金の話」を聞いた。
盛り上がっているかはともかく中東で開催されているFIFAクラブワールドカップに、南米選手権を優勝したアルゼンチンのクラブチーム、エステディアンテスが出場している。このクラブの中心選手には、かつてインテルマンUチェルシーなどでも活躍したファン・セバスティアン・ベロンがいる。


これは昨夜の準決勝の前後半の間に挟まれた話題なのだけれど、なんとこのベロン、今季の契約更改で年俸の40%減を、クラブ側に自ら直訴したというのだ。


別に彼が自分のプレーに不満があったわけではない(それで減俸を直訴してもすごいことに変わりないが)。現にこうしてクラブをクラブワールドカップにまで導いているのだから。減俸直訴の理由、それはベロンの選手人生にある。彼は欧州のチームに移籍する以前、実はこの同じエステディアンテスからプロデビューしていて、クラブに育ててもらったという恩義があったのだ。その意識があった彼は、自分の年俸分をクラブ施設の改善や、次世代の選手育成に当ててほしいと考えたのだそうだ。なんという男。


思わず目から汗が…というエピソードなのだけれど、もしあなたが、今僕の文章を読んで間接的にベロンという選手を知った人だとしても、この選手、「なんだかいい奴」、こいつの話なら信じてもいいやと思わないだろうか。僕は少なくとも、そう思った。欧州にいるときはそんな応援してなかったけど、これからはちょっとは注目していこう、と。


ところで、僕らはなぜベロンのこの行いに「なんだかいい奴」と思わされてしまうのだろう。それは、お金への執着のなさ、といえるのではないだろうか。自らのプレーへの報償を投げ打ってまでも、自分を育ててくれたクラブへの恩義を果たす。それは彼のできる最大の恩返しだ。


という具合に、一瞬ここで僕らは湧井と比べてベロンをうっかり聖人のように上へ上へと祭ってしまいそうだけれども、契約更改において本当に両者はそこまでかけ離れた立場に立たされているのだろうか。
実はこの話には罠がある。お金を巡っての二人の行動はまるで反対のように見えるのだけれど、よくよく考えてみれば、両者は同じ「お金の価値」というこの社会が全般的に乗っかっているものの上にあることがわかるのだ。湧井は自分のプレーへの球団からの年俸という名の評価が不当に低いとして、サインを保留した。一方のベロンは、自らのクラブへの忠誠を示すために自分の受け取るはずであった額を「返金」した、と言えよう。
つまり両者は、金によって敬意や忠誠は代理表象できるという「お金の価値」を信望しているという意味では、まことに認めたくない事実ではあるが、同じ穴の狢、ということだっていえるわけだ。


そしていわずもがな、それは一連の行いを評価するこちら側にも返ってくる問題だ。
はなからお金に執着していなければ、ベロンがお金を投げ打ったというエピソードにそこまで感心を覚える必要が、道理がないのだ。つまり、この話に感心すればするほど、その人のお金に対する執着心の度合いが測れる、という逆説がここにはある。


したがってこの「ベロンが自らへの年俸、お金を投げ打ってまでクラブに貢献している」というのを、わざわざ文章にまでする僕は、実は両者以上に「お金の価値」に毒された人間、なのかもしれない。