いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

石原良純という問題―ただのチリ毛のコンドロイチンじゃないっ―

明石家さんまの娘IMALと石橋貴明の娘穂のかと相次ぐタレントデビューで、2世タレントについてのとりわけその是非についての発言をいろいろ耳にすることが多い昨今。その中で一番大きく聞こえる声、つまりマジョリティの意見を要約するとそれは、彼女ら2世タレントは他のタレントが全くのぺーぺーの時代からデビューまでに重ねてきたはずの汗も努力も涙も苦労もその他諸々も「スキップ」して、今のもてはやされる位置に立っているということに対する、特権階級への批判と言える。うむ、まことに真っ当な意見だ。そういえば「親の七光り」と実家にいた時オカンがよく言ってた、松田聖子の娘SAYAKAがテレビに出てくるたびに。

でもよく考えてみれば、さんまやバシタカのようなエスタブリッシュメントはどこの世界にもいて、その人たちは家族をもち、同じ階級の子どもを再生産するのである(こんな言葉使いなのは、ちょうど今アルチュセールを読んでるからか?)。そうするとそれは芸能界に限らず、卓球ラケット業界にしろ、こたつ業界にしろ、蝶番業界にしろ、続々と2世経営者がきっと生まれているはずなのである。しかし、そういった表舞台に立たない業界の2世は、比較的に非難されない。
IMALや穂のかが批判されるのは、単純に彼女らが人の目にさらされる職業だからなんじゃねかと、思うわけである。


ま、それはよいとしてここで考えたいのは、2世タレントにとって2世タレントであるという事実がいかに作用するか、だ。それは単なる特権なのだろうか?

そしてここでとりあげたいのは、石原良純という人物だ。
石原良純、彼と言えば何が思い浮かぶだろう。あのチリチリした天然パーマの頭髪、ごんぶとの眉毛、素っ頓狂に高い声、男前未満の顔、意外と長身、天気予報士、マイコン刑事、タートルネックそして、コンドロイチン等々…。


数々の単語が連想できるがしかし、ほとんどの人が真っ先に思い浮かべるのは、なんといってもその血筋に他ならないだろう。なんてったって芥川賞作家で現東京都知事の父と、石原軍団の創始者でもはや伝説と言っても憚れないであろう俳優、故・石原裕次郎を伯父に持つ芸能界のサラブレット中のサラブレットである。彼も立派な2世タレントだ。


しかし、彼は世間一般にいう「2世タレント」としてうがった見方をされているようにも思えないし、これは推測でしかないが好感度も意外とよかったりするのではないか。それは、森田和義アワーに出ていたりブラックバラエティに出ていたり、彼を見ない日はあっても、彼を見かけない週はないという程度には、テレビに出ているところから推測される。タレントでいうと、立派な売れっ子に数えられるだろう。


太陽に吠えろ!での役柄も正直な話ぱっとしなかったし、そんな俳優業でも最近はそこまで目立った活躍をしているわけではない。目立った活躍でセリフめいたものをしゃべっているのは、それこそコンドロイチンぐらいではないだろうか。

繰り返しにはなるが、そんな彼になぜだかバラエティ番組での受容が以前としてあるのである。
バラエティに出ている時の彼はというと、俳優としての顔を捨てている。いや、捨てているという表現では彼の主体性が出すぎてしまう。はっきりいえば、全然俳優として周囲から扱われていないのだ。どちらかと言えば、バカにされているに近い。いつも何らかのミスをしてはイジられ、それに対してなんら芯の通った反論を返せないまま丸め込まれる、そういういわば「できないヤツ」的な扱い方をされているのである。バラエティにおける彼は。



だが注記すべきは、そここそが彼の面白いところであり、それこそが石原良純のいわば「石原良純性」なのだ。

似ている事例に東MAXがいるが、彼の場合は芸人であるし彼は自身が東八郎の息子であることを全面に押し出して笑いにしている分、少しニュアンスが違う。良純の場合は、2世であることを前面に押し出さないし、それに彼の場合は言表内容よりもまず存在から匂い立つ面白さがあるのだ。

しかし、ここでよく考えてみてもらいたいのは、そんな彼が「もし2世でなければ」という仮定の話だ。ただのちり毛のコンドロイチンだったら、彼を笑えるのかということを考えてみると、推測ながらもこれほどまでに面白いことにはならなかっただろう。彼が面白いのは、彼の「2世タレント」というファクターが重要な位置を占めている。彼の場合は、2世でなくてはおもしろくないのだ。それがなぜだかはわからないのだけれど。

彼を通して考えさせられるのは、2世タレントのその「2世タレント性」だ。
2世であるということは、恵まれた環境で育った世間知らずで、親のコネを使って生きながらえている、そんな単なる負の遺産としての側面しかないのか。必ずしもそれだけではないんじゃないか、ということだ。それはもう通俗的な親のコネとかそういう意味での「特権」としてではなく、一種の属性として、僕らは面白がっているんじゃないだろうか。


そんな風に思うと、コンドロイチンを一度飲んでみたくは、別にならないのだけれど。