いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

俺から「・・・」を奪うな

まぁ以前から思っていたことなのだけれど、気が向かないので書かなかったことを少々。


いつからだろう。テレビのワイドショーなどで取材陣の前をその取材対象が「ノーコメント」なども断ることなく、完璧にスルーしてカメラの前を通り過ぎる際、テロップで「・・・」と入れられるようになっていった。そう、三点リーダというやつだ。


僕の幼子のころの記憶にはなくて、このスルーされたときに使われる「・・・」というのは、意外と最近、もしかして2000年代に入ってからのトレンドだと思う。例えばドラマの制作記者会見、映画の舞台あいさつなどの時、今噂になっている女性との関係はどうなんだと、舞台上の出演者らがはけていく際にどさくさに紛れて芸能記者から問いかけられる。当然多くのタレントはそれを無視して舞台袖に消えるのだけれど、無視したということを示すために実際に報道される際には「・・・」は使われる。今日も偶々視ていたニュースで事務所から出てくる青木愛が記者団からの問いかけをスルーする形で前を通ったとき、「・・・」の記号が左からポツポツポツと一つずつ出たわけである。もう定番になっていて違和感を覚える人の方が少ないのかもしれないこの「・・・」。


で、何が言いたいかというと、この「・・・」の編集はあんまりでないか?ということだ。
「・・・」は元来、発した人物の沈黙を表現する。そして人っていうのは、いろいろな場面で口ごもり、沈黙する。だからこの「・・・」だって同様に、文脈に応じて、発する主体のためらいや戸惑い、不安、恐怖あるいは恋心だって表現可能な万能ツールなのだ。しかし芸能記者らがその人のところにまで行ってお伺いを立てることなんて、だいたい相手が探られては困るような部分(あるいは痛くもない腹を探られるという場合だってある)であることが多い。それに、何も言葉を返さなかったのは単純に質問が聞こえてなかったからという可能性だって、実は捨てきれない。にもかかわらず、問いに応答せず立ち去る光景に「・・・」なんかをバチッと入れられた日にゃ、そこにはそれ相応の「意味」が発生してしまうわけだ。


人から「・・・」する自由を奪うなよ。
人間、いざ「・・・」するときは自分の意思のもと、腹をくくった上で「・・・」したいというものである。
それをである。おそらくはアポ無しで、ギャラも謝礼もなしに、「あわよくばコメントもらえる」という程度の志でたむろする取材陣どもによって「・・・」していることにさせられているのは、あんまりじゃないかい?と思うわけだ。


「言ってももないこと」を「言った」と書かれる。それは端的に誤報というやつで大問題だし、それをみんなが大問題だと認識しているからまだよい。でも、いやそれだからこそ、「言ってないこと」を「沈黙」という風に短絡的に解釈し編集してしまうことだって、問題っちゃー問題だと思う。
別に「マスゴミ」やなんだと鼻息荒くまくし立てるタイプの人間では僕はないけれど(なんたってテレビ、好きだからね)、「編集がだれだれ寄りだ」とか「偏向取材だ」とはよく言われるのに意外とあの「・・・」について言及する人がいないので、今日はそんな話。