いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

さぁ!俺の代わりに愉しんでくれっ!!

ネットを巡回していると、興味深い「噂」を目にした。
約16年ぶりにあるロックバンドが復活した。そのロックバンドのライブDVDが先日発売されたのだが、ある通販サイトの書き込みに面白いことが書かれてあったのだ。その書き込みによれば、そのライブの客席の最前列にいる客がどうも「クサイ」というのだ。スタッフの仕込みではないか?つまり、チケットを買いもとめ、純粋にそのバンドの16年ぶりの雄志を観たい!と集まったファンではなく、サクラだったのではないか?というのだ。


ほんとかよ?と必要以上に興味が湧いたのは、お察しの通り僕もこのDVDを買ったからであり、いそいで自宅に戻って鑑賞してみたわけである。すると、そのライブの観客を映すシーン、いわれてみれば確かに、最前列の客が若すぎると思えなくもない。何よりも、ロック調の曲での縦ノリが若いのだ。一般的にユニコーン(あ、言っちゃった)の客層は80年代末から90年代初頭に青春を謳歌した、俗に言うアラフォー世代である。しかし、どぅおー観てもっ!その最前列の若さみなぎる彼女らは(映っていたのはほとんど全て女性!)、アラフォー世代には見えないのだ。
いや別に、ユニコーンのファンはアラフォーだけと決まっているわけでなく、現にここにもこうして一人いるわけである。だが、僕のように親の影響で聴いていた、というような人も少数派だろう。ソロの民生経由で来た、という説も分からなくはないが、どうも最前列の客席のその「顔面偏差値」の高さを前にすると、芸能事務所か何かから恣意的に招集されたとみた方がよいような気もする。


結果的に、彼女らがサクラだったのかどうか?それは定かではないし、僕にとってはどーでもよい。それよりも、もし彼女らがサクラだったら、これは面白いなぁーと、思うだけだ。なぜなら彼女らがいてくれるからこそ、僕らDVD消費者は彼らのライブを楽しめている、とも考えられるからだ。
この「ライブ会場のサクラ女」は、ジジェクの「泣き女」や「お笑い番組の笑い屋」の仕組みとして説明する、相互能動性=双方向性の「不気味な分身」としての「相互受動性」(interpassivity)と符合する。

(たんに受動的にショーを観ている代わりに)能動的に対象に働きかけるという状況(引用者註―相互能動性=双方向性)を裏返せば、次のような状況が生まれる。すなわち、対象そのものが私から私自身の受動性を奪い取り、その結果、対象そのものが私の代わりにショーを楽しみ、楽しむという義務を肩代わりしてくれる。強迫的に映画を録画しまくるビデオ・マニアならほとんど誰もが知っているはずだ――ビデオデッキを買うと、テレビしかなかった古き良き時代よりも観る映画の本数が減るということを。われわれは忙しくてテレビなど観ている暇がないので、夜の貴重な時間をむだにしないために、ビデオに録画しておく。後で観るためだ(実際にはほとんど観る時間はない)。実際には映画を観なくとも、大好きな映画が自分のビデオ・ライブラリに入っていると考えるだけで、深い満足感が得られ、時に深くリラックスし、無為(far niente)という極上の時を過ごすことができる。まるでビデオデッキが私のために、私の代わりに、映画を観てくれているかのようだ。


スラヴォイ・ジジェクラカンはこう読め!』50−51p

つまりこういうことだ。「楽しむ」という行為がここで、分裂している。僕らは普段、楽しいというのを、対象を自らが楽しいと感じることだと思い込んでいるが、現代においては少しひねくれている。誰かが楽しんでいるというその情景を、僕らは僕らが楽しんだこととして消費するのだ。


例えば、お笑い番組の最中に狂ったように聞こえる番組観覧席の客の笑い声。彼らはもちろん誰かに命令されてるのではなく、主体的に笑っているのだろうけれど、その行為は、われわれテレビモニターの前で楽しむ視聴者の「笑う義務」をも免罪してくれている。彼ら彼女らは、もはや日常に疲れて笑う気力さえ起きない僕らの代わりに、笑ってくれているのだ。


翻って、冒頭のライブDVDだ。もし彼女らがサクラであったとして、それがいったいなぜ、悪いことになるのだろうか?ファンの中心世代に該当するのアラフォーからすれば、自分たちがもはやオッサンオバサンであり、画面写り的に「ムリ!」との烙印を押されたようで気分が悪いのかもしれない。そうでなくても、彼女らサクラが最前列を陣取った分チケットをとれなかった、ユニコーンのライブに行けなかったというファンもいるだろう。現に僕は、チケット抽選に漏れたのだ。


しかしどうだろう。ライブというのは長丁場だ。立ちっぱなしでの約3時間もの長丁場。僕がもしあの最前列に陣取れば、彼女らのようにノリ続けていられるのだろうか?僕にはおそらくムリだ。疲れるだろうし、慣れない縦ノリをした末に、家に帰っての自己嫌悪というオチが、目に見えている。
なによりもそれでは、僕自身がライブを楽しめないではないか。


「ライブ会場のサクラ女」たちのおかげで、観客席の後ろの方に押しやられたアラフォー世代のファンも、チケットをとれなかった僕らも、DVDを通してユニコーンの再結成を楽しんでいる。いや、もっと正しくいおう。ユニコーンの再結成を画面上で「ライブ会場のサクラ女」たちが僕らの代わりに存分に楽しんでくれているからこそ、僕らは自室でのんびりと、読書など他のことをちまちましながら、ライブの音楽を聞き流していられるのだ。