いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「バーカ」もセクハラも文脈次第(改題)

(追記)「スジナシ」が面白い!から改題しました。

もう10年以上前からある番組なのだから、ヘビーな視聴者からすれば何を今さらという感じだろうが、最近見始めた「スジナシ」、面白い。

番組はMCの笑福亭鶴瓶が、毎回ゲストと一対一の即興ドラマ(エチュード)を演じる。決まっているのはセット(これがまたちゃんとしたドラマのような上質なセット)と開演前に選んだお互いの衣装だけ。お互いがどんな役で、どんな間柄で、どのように舞台上が動くか。全く決まっていない。まさに「筋なし」。

この番組が僕にとって面白いのは、演者の二人が本来は時系列に流れるはずの「現在」から遡行的に「過去」にあるはずの背景(舞台の始まる前の設定、二人の置かれた状況、二人の関係性などその他諸々)を構築しているところである。フロイト神経症患者の臨床経験から、神経症を罹患していない正常な精神について考えた。「異常な心」を観察することによって、「正常な心とはいったいいかにして正常なのか?」について、考えを巡らしたのだ。それと同じように、僕らはこの「スジナシ」において繰り広げられる異常なコミュニケーション(現在から遡及的に過去が決まっていく)から、自分たちが常日頃、正常なコミュニケーションだと思って行っているものについて考えることができる。


この番組で考えさせるのは、僕らが対人関係においてとる一挙手一投足、言語コミュニケーションから、ノンバーバルコミュニケーションまで、そのほとんど全てが相対する人物との関係性の文脈において初めて機能する部類のものである、ということだ。それはどういうことか。


例えば、三谷幸喜作品でお馴染み相島一之が出演した回。セットは病室。ドラマのスタートはジャージにサンダルというラフな格好の鶴瓶が部屋の外から、一方背広を着た相島は部屋の窓から外を見ているという構図。
そのスタート早々、鶴瓶が相島に対して「トリック」を仕掛ける。病室のドアをノックしてから入室したのだ。「ジャージにサンダル」というラフな格好だと、病室という設定上「患者」を連想するが、彼はそれでは当たり前すぎて面白くないと思ったのだろう、ここであえてドアをノックした。自分の入院している病室のドアをノックするやつは、普通いない。すると、途端に「鶴瓶―患者」の線が消えてしまう。後で鶴瓶は聴診器を持っていたことを明かし、彼は単にジャージにサンダルという「ラフな格好の医者」を演じるつもりだったと明かしていた。
ドアをノックする。そんな些細な行動が、実は二人の間柄、背景、世界観を一挙に立ち上げることに一役買っているのである。しかし相島はこの「ノック」というコードの意味を拾いきれず、その格好から当然のごとく鶴瓶を患者に見立ててしまい、それ以降に続く二人の芝居はちぐはぐになっていってしまう。もっともこれはバラエティー番組であり、その破綻ぐあいそのものが、後に観客も交えての二人の「プレビュートーク」で面白く扱われ、結果的に「失敗」とはならないのだが*1


この「スジナシ」から僕らが得ることのできる知見は、言葉も行動も、コミュニケーションはそのすべてが文脈において初めて機能する、ということ。
電車でたまたま向かいの席に座ったお兄さんへの「バーカ」はちと問題がある。しかし、気心の知れた間柄では、同じトーンの同じ声色の「バーカ」が互いの親密さを演出することだってある。


僕らはどんな時に、どんな状況でも、自由に言葉を発しているわけではない。言葉も行動も背景、言い換えれば文脈という制約を受けている。
もっとも文脈を踏み外したって、変な目で見られるという「軽傷」に終わることだってある。しかし、それこそ時と場合によれば、文脈を踏み外したことで少なからぬ社会的経済的制裁を受けることもある。


セクハラというものがある。
ここで僕らが考えなければならないのは、例えば「他人のお尻を触る」ということがセクハラになるのは、「お尻を触る」ことそのものがセクハラだからではない、ということ。多くの時と場合と間柄において、いきなり「お尻を触る」という行為は触られる当人にとって歴としたセクハラに該当するのだが、当然のことながらお尻を触っても許される時と場合と間柄だって存在する。「お尻を触ってはいけない文脈」と、「お尻を触ってもよい文脈」があるのだ。


もしかして世に言うセクハラというものの多くは、この文脈の踏み外し、読解力の無さに起因しているのかもしれない。

*1:この番組には過去、俳優だけでなくお笑い芸人も多数出演しているが、前者と後者、いったいどちらの業界人がうまくドラマをまとめてきたのだろうかが気になるところ。僕の推測だと、シナリオという本来「筋あり」のものに慣れている俳優よりも、アドリブに強い芸人の方が意外に健闘していそうなのだが。これはまた僕のTSUTAYAレンタル回数が増えそうだ