いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

経験を積み、勝ち続けることで唯一広がっていく穴

NHK総合「プロフェッショナル 仕事の流儀」の再放送を視る。血管外科医の大木隆生『すべてを捧げて、命をつなぐ』の回。
なんでも、ステントグラフとかいう細い管を血管に通すことで、大動脈瘤(りゅう)・頸動脈狭窄(けいどうみゃくきょうさく)症・閉塞性動脈硬化症など、脳と心臓を除く全身の血管の病気を、他の医院では「治療不可能」と宣告された患者のそれを、快刀乱麻に治癒してしまうという逸材。もちろん人気も高く、一日4件、年間で800件の手術を手がけているという。医療の方面には全く明るくない僕だが、さすがにこれがすごいということはわかる。

ところで、この番組には茂木健一郎らとゲストがトークをするスタジオパートとともに、そのゲストの普段の仕事ぶりを追うドキュメンタリーパートがある。事態はその、ドキュメンタリーパートの手術で起きた。
それは、大動脈瘤を患ったある高齢女性患者のステントグラフの手術だった。手術は無事成功。しかし、術後に思わぬ事態が起きた。手術による合併症を発症し、足に血流が回らくなり壊死し始めたというのだ。なんでもこの大木医師は、今までにこのステントグラフ手術を1500件をも手がけているという。しかし、今回のような合併症は初めて起こったことらしいのだ。結局、大木医師の懸命の処置も実らず、その女性は翌日に亡くなった。


番組は1/1500の確立に、偶然にも立ち会ってしまったのだ。断っておくと、これは医療過誤ではない(この後、その死亡した患者の遺族が、手術をしてくれたお礼を言うために、彼を訊ねていた)。手術はそれまでの術例と同じように進み、同じように終わった。しかしそれでもそれは起きた、異常事態なのだ。だがしかし、それでも大木医師は数日間落ち込んでいる様子だった。もちろんそれ以前の、1500回全てが成功だった、というわけではなかっただろう。しかし冒頭に書いたとおり、その実績によって患者が集まってくるような方なのだから、おそらくはその1500回のほとんどが成功に終わったのだろうと推測できる。


経験を積み、勝ち続けることで唯一広がっていく穴があるとすれば、それは異常事態への対応だ。
普通経験というのは、積み重ねることによってこそ意義がある。経験のデータベースが増えていくと、どういう時にどういう対応をとれば、どのような結果が生まれるか、それが体系としてあらわになっていく。そしてその精度は、経験が増えれば増えるほど、高まっていくのだ。その意味でRPGは正しい。あの手のゲームには経験値という概念があるが、それら経験値は増えることはあっても、減ることなんてない。そんなゲーム、僕は寡聞に聞いたことがない。
だが、あのRPGの経験の数値化という手法において、取りこぼしていることがひとつある。それは、経験の増加によってデータベース内の精密度が上がっていけば行くほど、「経験の圏外」つまり異常事態に対しては、ますます脆くなっていく、という逆説だ。現実社会では、レベル100に成長したあなたでも、もしかするとレベル1の「新種のスライム」に殺される可能性だってあるのだ(反対に、もしかするとレベル3や4のあなたなら難なく撃退していたかもしれない)。

勝ち続けることそのものにも、同じように落とし穴がある。勝ち続けることによって、自信が深まっていく。自信は次の回のいざという時の一瞬の判断に、ポジティブに作用する可能性もあるが、それが慢心になりうる可能性も捨てきれない。もちろん、自惚れに陥ることなく、自信を保つということもできるかもしれない。しかし、僕らのその大多数にとって、自信と慢心は限りなく似ている、区別のつけがたいもの同士なのである。そしてその両者の違いは、勝ち続けることによって、さらに曖昧模糊になっていく。
今は勝っているからいいのかもしれない。勝つことによってその「穴」が広がっていこうとも、実際にその穴に落っこちるということとは、たしかに違いがある。しかし僕らは、「実際にその穴に落っこち」ないためにも、その「穴が広がっているという事実」それ自体には、常に気を配っておいた方がいいのではないだろうか


それはもちろん、僕は大木医師が過信や慢心をしていたと、言いたいわけではない。そうではなくてこのことから、大木医師だけでなく、僕らも学ぶべき一般則があるのではないだろうか、と思ったのだ。


「完全無欠のヒーロー」なんて、本当はいやしない。「完全無欠であること」そのものが、その人物にとっていつかは仇となり・・・。