いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

能力とはまた別の「能力」

4月20日号のAERA内田樹が短いコラムで耳の痛い、いや目の痛いことを書いている。

多くの学生は就活を受験勉強と同じものだと考えている。成績優秀で、弁舌がさわやかで、リーダーシップのある人が選ばれ、そうでない人が落とされる、と。しかし、実際には採否の基準は、個人の能力ではない。あらゆる組織は集団のパフォーマンスを向上させる人を求めている。組織が求めているのは「一緒に働いている人たちの気分をよくしてくれる人」である。


内田樹の大市民講座

就職活動にて、自分の能力をひけらかそうとしてしまう癖。それは大学受験でも、とりわけ面接を経て合格した人には、抜けがたく染み付いているものではないだろうか。僕にはわかる。自身、面接を経て大学入ってきた人間だから。


もう五年も前になる。国立の二次面接において、僕は奇跡的な引きの強さを発揮した。
行きの新幹線の車中、何の気なしに読んでいた日経エンタテイメント。その中に付録で次世代メディア特集とかなんとかいう冊子がついていて、その記事を別に面接の対策などでもなく、ただ暇つぶしに読んでいたのだ。そこには、次世代DVD規格として「ホニャララホニャララ」という長ったらしい横文字が羅列されてあった(今ではその1文字も思い出せないということは、結局そのホニャララホニャララというのは次世代規格でもなんでもなかったということだ)。

翌日、四人で受けた集団面接。たいていこう言うのは、就活の面接を違い形式ばっていて、あまり突飛な質問はされない。そのほとんど全て終わりかけたその時、後に僕もプログラミングの授業でおせわになることとなる某教授が、その場の思いつきのように最後の質問をした。

「ところで〜〜、みなさんはホリャララホニャララって何のことだか、わかりますかね?わかる方は挙手でお願いします。」

一瞬ハッとおののいてしまったが、その直後に僕の右手がビシッと挙がったことは言うまでもない。結局僕は、その面接に受かってなんとか大学に入れたわけだ。あの最後の質問に答えれたことが、合否の分水嶺だったかどうかは定かではない。定かではないのだけれど、まるであの質問に答えられたおかげで入れたように錯覚するのも、無理からぬことではないか。
あの経験を経た僕は、面接を能力で勝ち抜いた意識が強かったのかもしれない。僕自身、そんなに常日頃意識しているつもりはないのだけれど、成功体験というのは本人の知らないところで、抜けがたく骨身にしみている、ということも否定できない。気をつけねば、と自分に言い聞かせたい。


ところで、この内田樹の話をつきつめていくと、なんとも身も蓋もないことになっていくと思う。少なくとも僕の脳内では。
彼は「能力」と相関しないと書いているが、「一緒に働いている人たちの気分をよ」くすることも、誰もが学んでできるわけではない、代え難い「能力」だ。ではもっと具体的に「気分をよくする」とは、いったいどういうことだろう。それは、端的に言って場を和ますことだ。そしてはっきりいって、というか、みなうすうす感づいているだろうが「能力」と相関しないその手の能力で一番効果があるのは、絶対に「美人」力である。
就活中の僕は最近これをとみに思うのだ。はっきりいって女性は、美人の人ほど絶対に就職率がいい。
面接官などは、それを否定するだろう。美人だから採ったわけではないと。しかしもし同じぐらいの能力で、同じぐらい溌剌とした元気な女子学生が二人いて、最終的にどちらを採るかとなったら、そりゃかわいい方(いや、もっとひどいと自分の好みのタイプの方)を採るのが、人間ってもんじゃありません!?


それはいろいろな会社の説明会や何やらを見て回った僕の実感でしかない。しかし、これと同じようなことは幾重にもある。僕が男子校時代に、まるで無気力だったのは、黄色い声援がなかったからだ。いや声援なんて送ってくれなくていいから、せめてかわいい女の子にいて欲しかった。女性(特にかわいい子)は、いるだけで組織のためになるのだから。