いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

完全無所属って、何!?

昨日一日、千葉県知事に当選した森田健作完全無所属なのか否か、ニュースで話題になっていた。どうもあの男の、いかにも若さを売りにしたような、いかにも清廉潔白さを売りにしたような、引きつり気味のあの笑顔は、観ているだけで虫ずが走る。そんな僕からすれば、あの人に汚点があったことそのものに笑みがこぼれて仕方ないのだが、気になったのはそういうことだけではない。彼が完全無所属かどうかはもちろん重要だが、そのことばかりに論点が集中すると、木を見て森を見ずではないが、ある前提となっていることそのものを疑う視点が失われてしまう。


僕にはどうもわからない。完全無所属」って言葉、変じゃないですか?
古来ギリシャ哲学からある、有と無の二元論。・・・・・・いやいや、そんな高尚な話を引っ張り出さなくとも、有る物は有り無いものは無いわけで、その二元論ですむはずだ。なぜ、無所属に完全と不完全があるのか。というか、完全でなかったのならそれらは全て、無所属ではないのではないか。


要するに僕が指摘したいのは、今回森田氏が無所属という語の前に“完全”という語をつけて強調しなければならなかった背景だ。彼がそんな語義矛盾した造語を案出してまで強調しなければならなかったほどに、選挙における無所属という言葉が形骸化し、「政党や派閥に属していない人物の事」とこの「無所属」という言葉が、乖離しているということなのだ。その乖離の間に、「有」所属と本当の無所属の間に、いろいろな濃さでグレーゾーンを設けてやりくりしている政治の世界全体を、「やっぱりそういうずるっこいことをする人たちの集まるところなんだねぇー」と僕は白い目で見てしまうのだ。

政党から資金援助を受けていたら、党籍を保持していたら、それは果たして無所属になるのか。その人が法律上それは問題ないです、というならばそうなのだろう。僕はそんなことで議論などしたくもない。事実その人は、法的には何も問われないし、何も失わないのかもしれない。ただ僕は、その人が何か人間としていろいろなものを失っていると思うだけだ。それはアレと同じだ。シミュレーションしてエリア内のファールをもらった選手を、逆にバレてイエローをもらった選手と同じぐらい、いやそれ以上に失望したくなるのと同じ理屈だ。それは、ルールにおいて不正かどうかの問題ではないのだ。


そう考えてみれば、そんなグレーゾーンの無所属でもなく、私は全く完全に、真っ白な無所属ですよーと喧伝しておきながら、やっぱりというかまさかというか、それでもなお本当の無所属でなかった森田健作という人は、どうしょうもなくいろいろな意味で真っ黒な人なのかもしれないと、あらためて確信したのだった。