いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

授業に出ないヤツはずるいのか、もったいないのか


id:m-birdさんの興味深い記事
大学で出席しないのは「ずるい」? - FreeBSDいちゃらぶ日記

その講義の中でとある学生が主張したのは「出席を取らないのはずるい。講義に出てこない人でも出てきている人でも、同じ成績が貰えるのはおかしい」ということでした。


へぇーと思った。学部時代、僕のように期末にだーれもノートを見せ合いこする人がなく、授業に真面目に出ざるを得なかった人間は、期末テストにだけノコノコ現れるやつらを横目に見て、頭の中では「ずりーな」と思っていたものの、それは思っていただけだった。とうとう進んで教師に主張し始めるものも出現しだしたのか。いっちゃあなんだがこれ、主張ではなくてもはや「クレーム」だと思う。

これは学生の「成績観」が原因ではないでしょうか。つまり、他人からなされる評価である「成績」を何よりも重視しているということです。

そうすると、彼らの「ずるい」という考えのロジックが見えてきます。出席せずに優を取った人と出席して優を取った自分を比較して、その単位が同じものにしか見ず、ずるいと思ってしまうのでしょう。成績というレッテルばかり大きくなり、その下地を過少評価しているからかもしれません。本来ならば、講義をサボって吸収できたはずの物事を逃してしまっている方が損であるのに、それに気づけていないということです。これは、高校まで「第三者からの評価」を重視していたためではないでしょうか。

まず何を持って「ずるい」と感じるのか。
そもそも単位とは、教育において数値化できない学生の修得度を、なんとか数値化しようとした苦肉の策なのであって、単位が取れたとしてもその講義によって何も習得できていなければ意味がない。しかし単位という「第三者からの評価」の取得が自己目的化されていくと、こういうことを「ずるい」と感じ、そしてそれを平然と教師に主張することが「あたりまえ」というように感じる学生が現れるのだろう。


どうしてこういうことになるのか。学生の側から言わせれば、「授業がつまんない」ということが、大きな理由の一つなのかもしれない。考えてみれば90分間、さして興味もない話を聞かされるのは苦痛以外のなにものでもない。しかしその「苦行」を経ないと目的の単位取得にはたどり着けない。だからこそ、そのプロセスをショートカットする学生が現れ、それをしない学生が「ずるい」と感じるのだろう。


だがもし、授業をおもしろいものであったならば、どうだろう。僕はもともと興味のあった学部に入学できた。そしてその中でも、興味のある授業しかうけなかった。そして幸運なことに、その講師陣は皆総じて、面白い授業をしてくれた。こうなっては、授業にあまり来ない人を「ずるいヤツ」なんて思うことはあまりない。むしろ授業に来ないヤツは「もったいないヤツ」なのである。
また「ずるい」と感じる学生の側も、たとえ授業に出席していたとしても、おそらくはその授業を吸収できてはないのだろう。なぜならその人にとって授業は、何かを吸収する場所などではなく、ひたすら堪え忍ぶ苦行でしかないのだから。