いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

22-27(病気)


いやほんと、病気なんてもんは一人暮らしの身にははたはた迷惑なもんである。僕も先週から今週にかけて、がっつりダウンしていた。病気の始まりというのは、いつからなのだろうか。「病気は気から」というのはよく言ったもので、僕の場合は最初心と体の相談から、それは始まる。


まず体の微妙なけだるさ、病気のイントロみたいなものを心が関知するのだ、「あ、なんかゾンゾンする」と。「悪寒」という言葉は、だれが作ったのかわからないがよくできていて、ほんとにあの寒さは悪いことの予兆のように思える。で、この気づきというのは、もちろん「そうあって欲しくない」ものなので、どうにかして心は体を誤魔化したり、嘘ついたりしようとする。ここから、心と体の応答が始まるのだ。「風邪、なんちゃって〜♪・・・とかじゃないですかねぇ?」「そこを何とかお願いしますよ〜」。もちろん、最終的に病気になるのは心でなく体であるであるからして、やはり体の方が立場は上。したがって、心は体の下手でへこへこしなければならない、感覚的には。もうここからは僕の場合、懇願に近い。ルルエースでも飲んで、ひたすら「これは風邪じゃないんだ風邪じゃないんだ」と心の中で祈りながら床につく。


そうやって自分の体を誤魔化して寝るのだが、大抵は次の日起きたときにその「合否」は決まる。起きた瞬間、その日がどっちなのかがわかる。これもドキドキもんであるが、冒頭に書いたとおり今回は不合格(というか、ある意味合格である)。起きた途端から、体の節々が痛い。つばが不味い。室内を歩く元気もないのに、コンビニに行ってポカリを買ってこなければ。ノドはかゆい。痰が詰まっているような異物感が気持ち悪くて、あやまって咳をしてしまったら、ノドが一面ただれているじゃないだろうか、というぐらいの激痛が走る。声も出にくくなった。そして何よりも寒い。このころにはもはや悪寒は「痛寒」になっている。寒いしかつ痛いのだ。要はそれらぜーんぶ引っくるめて、死にたくなるほど気分は最悪、ということだ。
このように風邪で寝込んだときは、横書きで読みにくいネットでも、ちょっと頭を使わなければならない本でもなく、テレビをぼーっと眺めることになるのだ。そして、医者にも行かず解熱剤も飲まず、熱をガンガン出して、体内で免疫力君とウイルス君に盛大に戦ってもらう。要するに放置なのだ。一人暮らしを初めて、一人で医者に行ったことはない。だから今回もその前も、いったい何でこんなに気分が悪いのか、病名というものを僕は知らない。


しかし、テレビという過ごし方は消去法であって、必ずしもこれが精神衛生上いいわけではない。最近はろくなことがテレビでも起きていないからか、やたらテレビの中の人物、出来事に嫌悪感を抱き、攻撃的になってしまう。例えば石原真理子玉置浩二。なんでこのタイミングなんだ?なんだあの囲み取材の不思議な雰囲気は?その他、政治家の言動の不手際、失言、普段ならどうでもよく受け流していることでも、めざとく見つけ、ムカつく。とにかくいろんなものにムカつくのだ。


もっとも、攻撃的になったとしてもそれを物理的な暴力に転化させる気力も元気もないため、ある意味近所の「説教じじい」みたいに人畜無害ではあるのだが。
おそらく自分の体が今こうだから、「俺自身はどうなんだ?人のことを言える立場か?」という普段なら対象にダイレクトに向かう怒りを迂回させ、分散させていた安全弁がなくなったからだろう。「俺自身」の立ち位置が棚上げされるから、こうように怒りを怒りとしてアウトプットしてしまうのだ。
それでも、どんな朦朧としていても、定期的にそのような「これは『俺自身』の立場を棚上げしているから言えるんだよな」ということに気づかせる「メタ俺」の立場の僕の中に現れて、僕を落ち込ませるのである。


いやほんと、病気なんてもんは一人暮らしの身にははたはた迷惑なもんである。