いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

才能がある人にない才能

僕の周りには、「えぇ、そんな才能があるのに普通の仕事してんの?」という人がいたりする。「その道」に入れば、“もしかしたら”大成するかも知れないだろうし、中には実際に「その道」の人から声をかけられたという人もいる。でも、現実にはそれとあまり関係のないことをしている人たち。

そういう人は僕に言うのだ、「いや、僕/私には『その道』は厳しいよ」とか、「好きなことを仕事にしたら、楽しくなくなるって言うじゃん?」とか、「趣味だからいいものが創れるんだよ」とか。そういう議論になれば、必ずといっていいほど繰り返されてきた意見。しかも、そういうことを言う彼らの口ぶりはあたかも、僕にというよりも「自分に」言い聞かせようとしているように見える。自分をあきらめさせようとしているふしさえある。

いや、でもそんなのやってみないとわかんねぇだろと素人目には思うし、というかその人たちも厳密に言えば「その道」に入っていないのだから、その道で成功できるかどうかを見極めることにおいては素人に入るのであり、そのような判断はできないはず。でもそういう人たちは、なかなか首を縦には振ってはくれないのだ。


そういう人たちを見てきた僕自身、彼らが「あちら側」へ飛翔しないことに対しての苛立ちを覚えると同時に、まだ「こちら側」にいてくれることに対しての安堵感みたいなものもあって、結局自分が相手にどうして欲しいのかは、わからないではいる。


要するにこれは「命がけの飛躍」のことである。人間、理知的に計算高く生きてたとしても、人生の全てが全て、予想と計算が通じる局面ばかりではない。向こうまで自分の跳躍が届くか届かないかわからない、そのギリギリの崖の前に立たされたとき。そのとき、それでもなお向こうにジャンプしたいと思えるか。そこでは、才能のある/なしとはまた別次元の「才能」が問われている。


で結局周りにいる人は、その「チャンスをチャンスと思う才能」がないわけだ、と僕は今のところ自分を納得させることにしている。