いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

女装する女


女装する女 (新潮新書)

女装する女 (新潮新書)


かつて、シモーヌ・ド・ボーヴォワール「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」と高らかに宣言した。が、現代の日本女性はシモーヌ女史に教えてもらわずとも、男勝りにあくせく働かなくてはならない自分の状況において、体でそれを直感している。「自分は本質的に女なのではなく、女装しなければならないのだ」と。
本書は、表題作「女装する女」を始めとする現代を生きる女性の消費という名の「女装の仕方」を、十通りの系統別に解説する。

人づてに聞いたとか、知り合いがそうだったという雑誌記事のような構成上、生理的に合わないという人もいるかもしれない。雑誌ほど(思考的にも内容的にも)薄っぺらくはないが、ハードカバーとして1000円以上で買わせるほどあらたまったものでもない。本書は、そんな新書のフットワークの軽さがなせる業か。本に「人生のうち一度は読んでおくべき本」と「是非今、この瞬間に読んでおくべき本」があるとするならば、流行を追いかける本書は間違いなく後者だろう。 

本書の趣旨はおそらく、表向きには「<女装>を楽しむ女」なんだけども、男の僕からすればその行間からは「もっと金使え!もっと金使え!」という呪詛の声しか聞こえなかった。あとがきには、本書の執筆をインスパイアーした某氏が紹介されているが、その人の肩書きにはあの大手広告代理店、H報堂の文字が(!)。みなさん、この本を真に受けて無駄遣いしちゃダメですよー。 本書の当該世代はアラフォー女性だと思われる。彼女らが多感なころ、世間はバブル経済だったのだろう。三つ子の魂百までとは言わないが、若い頃に身についた性分ってのは中々抜けないもんなんですねぇ(しみじみ)。

この本の核となるのは、前述した通り「本質的な女なんていなくて、女はみな女装している」という思想だ。女は男、とまで行かないまでも男とそこまで異なった生き物ではない。それを認めるに、僕もやぶさかではない。男の女の差違なんて、もともとは筆者のいうように虚構(ジェンダー)であったり、微々たるものなのかもしれない。
しかし、男と女の類似性をそのように強調した立脚点から話を進めても、欲望の発散やストレスのはけ口の方法において、両者は決定的に袂を分かつ。
男はそんなに、もの買わないもん。
以前に、本書と似た本で、男の消費を扱ったのがあったが、

それは、(「独身王子」という言葉と同様に)あまり流行らなかった(と思う)。
消費文化として、オタク文化が考えられるのではないか?という反論もあるかもしれないが、それにしたって男の場合は「お金を払ってコレクションをする」でもその中の、「お金を払ってコレクションをする」の部分が重要なのであって、大して金のかからないものだってある(切手集めとか)。女の消費は、そこに必ずといっていいほど「お金」が絡まらないとならない。だからマーケッターのターゲットも女性になるのだろうけど。
「消費欲」は、まちがいなく女の領分だ。

差違が本質的なものでなく虚構であることを暴いた結果、むしろ本質的に見えてしまう男と女の別の差異が発見できたことが、本書の達見だろう。