いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

ジンクス


テレビでサッカーなんかをボケーっと眺めてると、実況アナが「ガンバはここ最近先制した試合では負けてませんね」とか言っている。で、そんなときに限って、1対2で逆転負けを食らう。
ほら、言わんこっちゃない。
でもだからといって、実況アナはそこで謝りや訂正はしないし、放送局の回線が苦情電話でパンクすることもない。彼がさっき述べたのは“ジンクス”であり、約束ではないのだから。
そう。ジンクスの利点は、守らなければならない約束や契約でないところにある。

茅ヶ崎にある「茅ヶ崎サザンC」というモニュメント。そこに恋人と立つとその二人は永遠に結ばれるというジンクスがあるらしいのだけど、もちろんそういうことをしちゃう恋人たちのことだから、互いの「イタさ」に感づいて、いつかは別れるわけだ。
でも別れた後、彼らは茅ヶ崎観光協会に怒鳴り込みになんか行かない(いや、中にはそれすらもしちゃうイタい人がいるのかもしれないけど、大半の人は行かない)。なぜなら、茅ヶ崎観光協会がモニュメントを通して提供しているのは愛の契約などではなく、ジンクスという名のロマンスなのだから。

このように、ジンクスというのは科学的客観とは真っ向から対立する主観であり、それはもう混じりっけのない全くの主観なのである。であるからして、それが秘めたるパワーなんてのもお望みどおり、伸縮自在、自由自在、そして神出鬼没である。

鼻をかんだちり紙。丸めてゴミ箱にポイッと投げようとしたその時、脳裏にいつも浮かぶ、あの変な賭け、 「これが入ったらあの子は俺のこと好き!!」
一瞬集中力を高めて、スローイン。ちり紙が描くその放物線には、物理運動の法則以外、恋愛のキューピットさんも、神の見えざる手も、超自然的念力も、何も介在する余地はない。しかし僕たちはその行方を、息を呑んで見届ける。

そんな汚いもので賭けしてる時点でアウトだろという話だが、この行為のミソは、ゴミ箱に入ったら入ったで「よっしゃ!」とその結果を鵜呑みにするくせに、入らなかったら今度は「今のは正式ではなかった(じゃあどうすりゃ正式なんだ!?)」とか、なんだかんだ理由をつけて、「今の無し!」にすることができるところだ。なんせジンクスは当事者の主観、「ゲームの全権を握るプレイヤー」による「勝ちか最悪引き分けしかない一人プレイ」なのだから。出る結果も最初から決まっている。

そう考えると、あれをやってるときの僕は、例の悩み相談をしてる時の女の子みたくなってるのかもしれない。

「赤と青で迷ってんだけど、どっちがいいと思う?」
「俺は、、、青の方がいいと思うよ」
「ええぇ!?ありえないよー、絶対赤だよー」
「・・・」