いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

私たちは“聴覚障害者”ではありません。“手話を使う人”です


偶然に視たNHKETV特集の再放送。タイトルは「手の言葉で生きる」。聴覚障害をもつ子どもの日本語教育をあつかった回だった。


そのドキュメンタリーに出てきたある聴覚障害の女の子の母親は、人工内耳という機器を三半規管に手術でとりつけたことで、ノイズ混じりながらも音を聞くことを可能になったのだが、その子が嫌がったためスイッチを切り、手話での生活を選んだという。
しかし、定期検診で3年ぶりに二人に会った医師はそのことを聞き、激しく動揺する。彼曰く、この先その子が実生活で健常者とともに生きていくとなると、日本語を習得することが不可欠であり、そのためには耳で日本語を聞くというのが欠かせないのだ。
「耳で学ぶ」というのには「臨界期」というものがあり、ある時期まで成長してしまうと、本来外界の音の一つに過ぎないはずの人間の声を、一つの言葉として識別すること自体が難しくなってくるらしいのだ。

ここで「?」と思ったのは、「なぜそれが手話ではいけないのか?」ということだ。手話にだって単語があって文法があって文構造がある。手話でコミュニケーションが事足りるのであれば、ろう者以外の人間ともコミュニケーションはできるのではないか。

実は事態はそう簡単なものではないのだ。
これを視るまで知らなかったのだが、僕たちが学校で申し訳程度に習った手話というのは実は、ろう者が実生活で使っている手話ではない。彼らが実生活であつかう手話というのは、両手の動きのみならず、顔の表情筋なども駆使しておこなうそれこそ、一種のボディランゲージという意味合いが強い。例えば、「もし〜ならば」というニュアンスを出すに、手は使わない。「もし」というのは顔の独特な表情で伝えるのだそうだ。さらにそれは、別の表現を行っている手振りと同時並列的に表現される。そのことが意味するのは、「真の手話」が多声的な言語であり、日本語文法に依存しない独自の修辞法によって編み出されるため、日本語として文構造をなしているというわけではないということである。僕たちが習った手話の方は、厳密に言えば手話ではない。「日本語の手話」なのである。


ろう者が健常者とコミュニケーションを取るとき、ここでの変換、つまり手話から「日本語の手話」への微妙な変換が必要になり、その変換にはもちろん日本語文法の学習が不可欠になるのである。VTRでは、子どもたちが国語の作文の授業で拙いながらもカルタ大会の感想文を日本語として表現しようと、熱心に取り組んでいた。


脱線してしまうがこういう話に僕は、ある種の魅力と快感を感じてしまう。
それは未知性が発する魅力であり、裏を返せば「自分は〜ができない」ということを知ることに秘められたマゾヒスティックな快楽である。もう一度言うと、「自分は〜が<できる>」という可能性が心地よいのではない。「自分は〜ができない」ということを知ったからこそ快感なのである。それはおそらく自明性(自分が当たり前だと思っていること)の限界、自分の領土の国境付近まで足をのばした、ということがもよおす、かなり倒錯した全能感という名の快感なのだと思う(自分の限界を「知った」ということに感じる全能感なのだから、かなり倒錯的である)。
この番組を視て僕は、手話という多声的なコミュニケーションの存在を知ることで、その反対に僕のアイデンティティーのひとつである日本語という名のオーラルコミュニケーションが直線的にしか伝達「できない」ということを知ったのだ。もちろん、手話にも限界や欠点はあるし、地球上のあらゆる言語と呼ばれる表現系には、欠陥がつきものなのだろう。


もし、あらゆる事象を完璧に表現できる「最強の言語」というものが存在したら、世界はどうなっていただろうか。誤解やいざこざが生まれない、相手に100%こちらの意志が通じる、そのような言語が生まれたらならば、世界は愉快で楽しくなるだろうか。


まず、芸術を筆頭とするあらゆる表現媒体は消えて無くなるだろう。なぜならそんなことしなくてもいいんだもん。
芸術は言葉では言い表せないことを表現しようとする試みなら、最強の言語=表せないことがない言語の登場はその存在意義を失うことを意味する。
もちろんブログだってそうだ。どんな現象だって十人十色の感じ方があるからこそ、10本の文章ができるのである。