いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

まつり


祭りに対して、私はあまりいい印象を持っていません。夏のあのジメジメと熱気がたぎる夜に、うら若き男女の肌と肌が場の混雑に乗じてぶつかり合い、日常という砂漠で干からびてしまった彼らの情欲は一気に潤いを取り戻し、どこぞのものとも知らない相手との一夜の過ちに花が咲く、それが夏祭りという強大な陰謀の真相なのであります。私にとって祭り、特に夏祭りというのは、その文字からも若き男女の汗やらなにやらいろいろな汁が滴り落ちてくるのではないかという錯覚にさえ陥る、まったくもって猥褻な集まりなのです。あぁ汚らわしい。


そんな不純異性交遊大会、通称「夏祭り」にはまったく縁のない子供のころの私にとって、「まつり」というものは何を隠そう「お誕生日会」なのでした。今はどうか知りませんが、我々中産階級の子息にとって、一年のうちのビックイベントのひとつが自分の家でのお誕生日会。たいてい土曜日に開かれ、ご招待したお友達に母特性のカレーが振舞われます。なぜかどこのご家庭に行ってもお誕生日会の食事はカレーという風に相場は決まっております。


何よりも魅力的なのは、そのお誕生日会の日は本人の「独裁国家」になるということ。何して遊ぶにしろ、すべては会の主役の意思が最優先されます。さらにはプレゼントを一方的にもらえる。今考えたらしょぼい(失礼!)レベルのものだったと思いますが、その日に限ってそれは、独裁者への「貢物」とかし、もらう方もなんだかいい気分になるので、そのしょぼさも帳消しになるのです。今考えると、お誕生日会の魅力とは、その一日限りの独裁者の幻想にあると思います。


しかし、私はそんなお誕生日会にも苦い思い出があります。あれは小学4年生の時の私のお誕生日会でした(遠い目)。
その日は、私の提案で学校の校庭でサッカーをすることになりました。総勢10数名程度の人数で学校に駆り出すと、そこには当時の同級生村上君(仮名)の姿が。私の顔は瞬時に引きつりました。何せこの村上君、学年1、2をあらそう運動神経、我々内向的な人間がバトル鉛筆をころころ転がしてささやかに興じていたその隣で、「肩パン」という人の肩を思いっきり殴る、今考えても何が面白いのかさっぱりわからない遊びをしていた狼藉者です。その遭遇はさながら、弱々しい公家と、野山を駆け巡る山賊のごとく、か弱きガゼルの群れと、百獣の王ライオンのごとく、まったく異形の者との邂逅だったのです。
言わなくてもいいのに誰かが、僕の誕生日会なのだということを村上君に伝えたらしく、彼の反応は即効でした。
「俺も招待してよ(きわめて命令に近い雰囲気をかもしながら)」。


その瞬間、私の独裁国家はあっけなく崩れ去りました。あえて気の小さいメンバーを呼んでいた向きもある私の独裁政権は、完全に村上君による傀儡政権とかし、その年のお誕生日会は苦い思い出として私の脳裏に登録されたのです。
「誕生日ならこれやるわ」


僕の手に握らされていたのは、推定200円そこらのゲームウォッチ(彼の手垢の黒ずみ付)。

そのときのゲームウォッチは、今でも大切に大切に机の引き出しの奥にしまってある、わけがない。