- 作者: パオロマッツァリーノ,Paolo Mazzarino
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/07/01
- メディア: 文庫
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ウェーバーとかマンハイム、あとデュルケームとかが大昔にやっていた社会学、理論系の社会学は読んで面白いし、勉強する価値もあると思う。それに引き替え、統計あるいはマーケティング系の社会学っていうのは、ホント酷いもんだと思う。数年前に『下流社会』で当てた三浦展はその代表選手である。あの人なんて、統計とかマーケティングとかを使って、一応論理的で整合性を整えた上で若者に説教を垂れているだけである (例『「かまやつ女」の時代―女性格差社会の到来』)。 あんなおっさん、形を変えたただの「説教オヤジ」である。あと同類だと、「ニート」を日本に広めた玄田有史とか。
そんな現代にのさばる「悪しき社会学」にツッコミを入れるのが本書。本書は、統計やマーケティングに散りばめられた魔法を解きほぐしつつ、政府や社会学が論じる既存の言説、常識(若者論、少子化論などなど)にメスを入れていく。読みやすいし文体は軽いが、内容はけっして軽くない。あなどれない。
「マクドナルド化」のジョージ・リッツァが言っている。社会学さえもマクドナルド化している、と。
彼によると、理論系はともかく統計を伴う社会学の分野では今、次々と論文が「生産」されているらしい。その大量生産される論文の、審査基準、認められる基準というのは、その内容の独創性や先鋭性よりもなによりも、その統計のサンプルの多さなのだという。そこでは研究の質ではない、サンプルの多い論文が認められるようになっているのだ。
そしてそれは、目先の結果としていち早く目に見える形として現れる研究が、優先的に認められるということでもある。社会学さえ合理化・効率化(=マクドナルド化)の波に晒されているということだ。
「雑学」と揶揄される社会学であるが、社会学のすばらしさはそもそもその「世間で常識とされていることは何でも疑ってかかる」という雑学性にあった。しかし今やどうだろう、社会学こそが常識を生産する工場と化してはいないだろうか。
既存の社会学に反旗をひるがえし、常識に挑戦する。
反社会学こそが、今や一番社会学的な学なのかもしれない。