いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

香山リカ「イヌネコにしか心を開けない人たち」を読了。



ペットにはまってしまう人は「心のゆとり」があるのではなく、「心のすきま」があるからだ、と香山リカは論じている。精神的に安定している人だからこそ動物と共生できるのではなく、むしろ逆に精神的に不安定な人こそ、依存の対象として動物を飼ってしまうというのだ。
これは案外、以前から言われていることではないだろうか。そういうペットへの過度な「かわりがり」を町中で目のあたりにすると、どう考えても「心のゆとり」は見いだせない。


実家の近所に、外出中はつねにペットを胸に抱いてあるくおばさんがいた。その人は、「心のゆとり」があるからこそ動物を飼っていると言うよりも、さみしさ(その人は独身だった)をペットによって紛らわせているようにしか見えなかった。飼っていたのは小さなトイプードルで、外にもかかわらず地面を走らせてもらえず、飼い主の胸元で抱えられていた(はがいじめされていた)。彼が、実際のところどういう心境だったのかは聞いてみたくなる。
飼い主がイヌネコを癒しているのではない。事態は逆だ。イヌネコが飼い主を癒している。


単なる動物好きならまだしも、運動愛護をめぐっての運動めいたことをしている人っていうのはどうかなと思う。
動物愛護も極端な形をとってしまうと、暴力に転化してしまうということは、この本でも触れられている。

ペット好きというのは、嗜癖と似ている。
先述したように、それはペット、動物への依存であるし、極端な方向へいけば、暴力、摩擦をも生み出す。そして、そうしたペットへの過剰な態度は、ペット好きでない人にとってはかなり迷惑になっている場面もある。
ただ、ペット、動物好きというのは、その人の人格的評価にプラスに作用する場合が多い。長期的に見れば人の迷惑になっていることもあるペット好きの人も、イヌネコをヨシヨシとナデナデする具体的な画として立ち現れると、すごく優しい人、すごい人格者に見えてしまうのだ。
そこが、たばこや薬物といった他の嗜癖とのちがいかもしれない。

でも、
「あなたの過度なペットへの依存はたばこや薬といっしょ。一つの嗜癖であって、特にあなたはオーバードーズ気味ですよ」

そんなこと、あの実家近所のおばちゃんには言えないだろうなぁ。