いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

ちょっと前に、後輩3人と行きつけの中華屋で晩飯を食ったときのこと。店内はわりとこぢんまりとしているその店で飯を食いながら僕たちは、どうでもいい無駄話をだべっていた。

そういうときに、周りの席の客は知らぬ間に入れ替わっていたりするもので、僕らが気付かないうちに、隣の二人がけの席に、おそらく夫婦らしき中年カップルが座っていた。僕ら4人は、その後も変わらず話を続けていたのだが、数十分後にその夫婦が食べ終えて出て行った後、誰ともなしにその夫婦の話題になってしまった。

別にそのカップルが、こちらのうらやむほどの美男美女だったからではない。そもそもその二人はとうに40は超えているであろう風貌だった。

その逆。その二人が、あまりにも見るに耐えなかったからだ。

まず食事中、二人の間で会話とおぼしきものが交わされた形式がまったくなかった。沈黙というものは、ある意味雑音より気になるもので、その二人がまったく話していないとなると、お節介かもしれないけれど、知らず知らずのうちに耳をそばだててしまうものだ。頼んだ料理を無言で口に運ぶ二人は、その料理について、美味いか不味いかすら何も声を交わさない。どういうことなのだろう。

おまけに、女性の方は表情までいけない。顔自体、決して美人とは言えなかったけれども、表情まで死んでいる。あれでは「生きててな〜んも楽しくない!」と、顔に書いているようなものだ。

二人は食べ終わると、そそくさとレジの方へ行く。女性の方が、何も交わさずにレジを素通りして先に店を出て行き、男性の方が会計を済ましていたのをみるに、やはり二人は夫婦かそれに近い間柄なのだろう。それにしても、その場面も二人に愛情というもののかけらさえ感じられなかった。

僕たち4人は、器用なもので4人ともそれら一部始終を、横目で観察しながら別の話していたのだ。

真相は二人に訊いてみなければわからない。もしかして、その寸前に何かで喧嘩してお互い機嫌が悪かったのかもしれない。それか、はたから見ると楽しそうでなくても、実際二人はそういう物静かなやり取りをいたって普通なものとして今まで繰り返してきたのかもしれない。

でもそれでは逆に、僕ら自身の観察眼をバカにしすぎてはいないだろうか?僕の経験上、大抵人っていうのは、幸せそうな人は幸せそうに見えて、不幸そうな人は不幸そうに見えるものだ。そうすると、やっぱりあの夫婦(あるいはカップル)は、とりあえず幸せではなかったのだ。

現行法では日本人は、たった一人の伴侶しか有すことを許されていない。でもこれって、実はいいことなのかもしれない。たった一人しか選べないということは、もちろん相手も同じ。「たった一人」同士だからこそ、深まる絆ってあるんじゃないだろうか。
固い絆は、親や兄弟とはあったかもしれないけれど、ひょっとしたら縁もゆかりもなかった人とでも結婚では「たった一人」しか選べないからこそ、相手が自分にとって大切な存在になるんじゃないか。

中華屋で僕らが見た夫婦は、お互いが「たった一人」であるという絆によって結ばれた分かちがたい存在、とはいえなかった。あの夫婦の間に降り積もっていた沈黙は、沈黙なりにいろいろなことを語っていた。
「こんな人と一緒になるはずではなかった」「どうしてこんな結婚してしまったのだろう」「どうしてこんなに楽しくないんだろう?」

彼らが永遠に紡いでいた沈黙の中にその言葉が織り込まれていたかは定かではない。
でも、やっぱり不幸そうな人は僕の経験上やっぱり不幸なのである。