突然であるが、ぼくの目標とする人物は黒柳徹子である。最近決まった。
なぜかというのを説明する前に、父について語らなければならない。
先週の13日で父が死んで18年になる。
18年も経っているので特にこれといった感慨はなく、今回も例年のごとく母のLINEが来るまで忘れてしまっていた。
父がどんな人だったのかは、実のところよくわからないが、その死という客観的事実から抱くのは、「かわいそう」という感情である。
それは何も、がんになり、放射線治療で苦しみに苦しんだあげくに報われず、たった45歳で死んだということに対してではなく、「“その先”が観れないなんてかわいそうだな」ということである。
だって、考えてみてほしい。
2000年に死んだ父は、アメコミ映画でも『スポーン』や『ブレイド』は観ていても、MCUはおろか、『ダークナイト』、サム・ライミ版の『スパイダーマン』さえ観ていない。
ミッキー・ロークを過去の人だと思っている。そのあと『レスラー』でちょっと復活したのに。
ジョン・ウーの『フェイス/オフ』を大絶賛していたが、ウーの『ミッション:インポッシブル2』や『レッドクリフ』を観ていない。『ペイチェック』……は観なくていいか。
好きだったイーストウッドが、2000年代にさらに『ミスティック・リバー』や大傑作『グラン・トリノ』を撮るのに、それも観ていない。
スピルバーグについては、『プライベート・ライアン』を父子で観て圧倒されたが、そのあともたぶん、観たら圧倒されるような映画ばかり彼は撮り続けている。なのに観ていない。
あげだしたらキリがない。もっと他にもある。
父はそれらを全部観ていないのである。なんてもったいない!
そう、死んだ父について考えるとき、「かわいそう」の次に出てくる感情が、この「もったいない!」である。まだまだ世界は未知のもので溢れているのに、それを観ないなんてもったいない! 死は彼の意思ではなかった。なので「もったいない」であり、「かわいそう」なのだ。
ここで話は冒頭に戻る。
世界はまだまだ観ていないもので溢れ、これからさらに増殖していく。観ないのは「もったいない」。だからこそ、ぼくの当面の目標は黒柳徹子なのである。
世界をたくさん観て、受け止めるためには長生きする必要がある。
けれど、生きていてもボケて意識が混濁した状態で観るのなら元も子もない。
そんな中で、徹子は本当にすごい。先日もインスタグラムの動画で話しているところを見た。『徹子の部屋』の視聴者であるなら、特に驚くほどのことではないだろうが、84歳にしてあんなに明瞭にしゃべることができるのは、実はすごいことだ。
80年も90年も生きていたら老いはつきものだ。
しかし、なぜか「歳のわりには若い」「老けている」などとビジュアルの老化にはみんな敏感だけれど、ことのほか脳の老化についてはあまり語らない。
一番怖いのは意識の老化だ。徹子と同じ84歳で、あそこまで物事に鋭い観察眼を向け、論理だてて明瞭に話すことができる人が何人いるだろうか。
だからぼくは徹子を尊敬するようになった。なりたいとさえ思っている。
当面の目標は、少なくとも150歳まで生きることだ。それも、徹子のように明瞭な意識を持って。
父が観ることのできなかった世界をできるだけ長く、できるだけたくさん、全力で受け止めるために。