ワールドカップが盛り上がっている。
そんなワールドカップのたびに浮上するのが、「にわか」問題である。
「にわか」なファンが、4年に一度だけやってきて、日本代表を肴に盛り上がるというあれである。オリンピックではこの問題が浮上しないのは、多分サッカーを普段から観ている人がいるからだろう。
サッカーの煩型には特に受けの悪い「にわか」であるが、この問題にはすでに決着がついている。
ほら、赤江珠代アナウンサーから至言が飛び出したではないか。
そうである。
五輪スイマーだって、最初はきっと浅瀬で遊んでいた子どもだったはず。
誰もが最初は「にわか」であり、「にわか」になる術さえ奪われたら、サッカーであろうとどんな文化であろうとさらなる発展はきっとないだろう。
そして何より、ぼく自身が立派な「にわか」だ。
昔はサッカーをもっと観ていたはずだが、今ではとんとご無沙汰になってしまった。そんなこんなでぼく自身「にわか」なのだから、「にわか批判」はしないつもりでいた。
ところが、いざワールドカップが始まってみて、SNSで浮上してくるタレントのサッカー投稿に対して、「イラッ」ときてしまうことがある。
「にわか批判はしない」と決めたのに、本能的に感じてしまう「イラ」に戸惑っていた。なぜだ。
最近わかったのだが、タレントの「にわかサッカー発言」にイラっとくるのは、それが「にわか」発言だからではないということだ。
それは、彼女らの投稿が「にわか」のみならず「便乗」だからだ。
その証拠に、彼女らの投稿には必ず文言とともに自撮り写真が添付されている。
日本代表のユ二フォームを着て、ばっちりキメ顔でパシャり。あとは適当に「日本頑張れ!」とか「信じてます」とか適当にチョロチョロっと書いてアップすればいっちょあがりである。
彼女らの主語は日本代表ではない。
日本頑張れと言っている「私」なのである。
加藤紗里かよ。
赤江アナによる「海」のたとえ話を借りるならば、彼女らは、 ステキなビーチに自転車で乗り付けて、無許可でアイスクリームなどを売るあの無粋な業者連中である。
そんなタレントたちは、ポーランド戦の日本の戦いに不満をツイートし、一部サッカーファンと全面戦争になった足立梨花さんを見習ってもらいたい。
ガンガン攻めた結果負けてしまうのはいいんだけどさ。
— 足立梨花 (@adacchee) June 28, 2018
決勝トーナメント行けなくなってもいいんだけどさ。
これでセネガルが追いついて決勝トーナメント行けないとかになるとちょっとね。。。
なんというか
— 足立梨花 (@adacchee) June 28, 2018
嬉しいんだけど
素直に喜べないというかなんというか
不思議な気持ちでいっぱいです
なんかほんとここ最近、サッカー関連でめんどくさい人多すぎ
— 足立梨花 (@adacchee) June 28, 2018
なんなの?好きなこと呟かせてよ
嫌なら私のツイート見るなよ
返事するなよ
いろんな人のいろんな見方があっていいじゃんか。めんどくさいな
この間、足立さんの投稿にはぬるいサッカールックの画像などない。さすが、仕事とはいえJリーグ全37クラブ(当時)のホームスタジアムを制覇し、「Jリーグ名誉女子マネージャー」の称号を手に入れただけのことはある。
そもそも、本当に応援している人は、わざわざレプリカのユニフォームを着る必要などない。何を着ていようと、応援するのは心だからだ。
とはいえ、本当に寛大な心をもってすれば、「にわか」のみならず便乗も許せるというもの。そもそも、そうした便乗も本人の意思ではなく、所属事務所の指示かもしれない。
この件は、ぼくの人間としての修行がまだまだ足りないだけかもしれない。