いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

鬼越トマホーク『ゴッドタン』で見せた「セルフ文春砲」の生き様 きっかけは後輩芸人からの批判だと邪推してみた

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突然始まった「セルフ文春砲」

先週の『ゴッドタン』(テレビ東京系)に出演した鬼越トマホークがかっこよかった。

 

これだけを聞いて「あ、番組は見てないけど、ハゲの方がアイドルと付き合ってるって告白したんだっけ?」と、ネットニュースか何かで情報としてだけ知っている人も、ぜひ、本編を見てもらいたい。もう1時間を切ってしまったが、まだTVerで見られるので確認してほしい。

t.co

「アイドル公式お兄ちゃんは俺だ! 選手権」というアイドルを見守る立場になりたいテイなのに、そこでわざわざ(元)アイドルと付き合っていることを言っちゃうという文脈上のおもしろさだけでなく、この夜の鬼越は生き様からおもしろかった。

見届人的立場のプロインタビュアー・吉田豪の「鬼越さんのほうが僕は心配」という言葉をきっかけに、何かに火がついた様子の坂井良多が、「豪さんどういうことですか!?」「豪さん全部言ってください!」とバッキバキにきまった目でリクエストを始めると、自身が「剥がし」のスタッフとして働いていた現場のアイドルグループの元メンバーと現在交際していることをあっさり白状してしまった。

この状況にスタジオは大混乱に陥り、今まで散々箝口令を仕掛けられていたという相方・金ちゃんが、積年の恨みを晴らすかのように、次から次へと相方の交際事情を話す、ある意味『ゴッドタン』らしい企画の趣旨をぶち壊すような展開となった。

平場は強いけどネタが弱い

芸能界でほとんど唯一、ガーシーチャンネルと友好関係にあるとされる鬼越トマホークだが、2人が世に出るきっかけは千原ジュニアに見出された「ケンカ芸」だ。2人が取っ組み合いのケンカを始め、それを止めに入った第三者に芯を食った毒舌を浴びせる、というよく考えたら不思議なフォーマットの芸だが、2人はその後も、悪口・暴露・ゴシップの黒い三拍子でテレビのみならずラジオ、YouTubeでも活躍の場を広げる。

爆笑問題のラジオで大爆発し、ナインティナインのラジオではまた別の意味で大爆発し、平場ではめちゃくちゃおもしろい2人なのだが、ことに「ネタ」ということではこれまで目立った活躍ができていない。2人が縮こまって漫才をしている姿はまるで、ノゲイラホーストナチュラルパワーで半殺しにしたのに、モーリス・スミスにボクシングを習った後は突然しおらしくなってしまったボブ・サップのようだ。

きっかけは川瀬名人による鬼越批判?

しかし、彼らの暴露の矛先を自分たちに向けるのは、何も今回が最初ではない。金ちゃんの実家の居酒屋で○○○が取引されていたとか、実父がある事情で小指がないとか、事務所の先輩の友近が嫌いだとか、これまでも散々自分たちにとって自殺点になることもしゃべってきた鬼越だが、ここに来て、今までトップシークレットだったはずの「坂井がアイドルと付き合っている」というパンドラの箱に手をかけたのには、あるきっかけがあったのではないかと邪推している。

それは4月に鬼越のYouTubeに後輩のゆにばーす・川瀬名人が出演した回だ。かたやM-1決勝常連、かたや「お笑いコンビ」としては邪道な悪口・暴露・ゴシップで暗躍する2人。一見、水と油のように見えるが、両者は実は友好関係にあり、テレビ出演は通常断っている川瀬名人も、鬼越のYouTubeにはたびたび出演している。

しかし、そんな友好関係にあったはずの川瀬名人が、この回は先輩・鬼越に対して「真芯」を食った悪口を浴びせたのだ。

www.youtube.com

 

川瀬は、かつて鬼越が並み居る先輩芸人たちに浴びせた「悪口」に立ち返る(名言はしていなかったが、これらはすべてジュニアが出演する、奇しくも『ゴッドタン』の直前に放送されていた『ざっくりハイタッチ』だと思われる)。

川瀬は、鬼越がジャングルポケットに放った「お前らの単独ライブ誰も見に行かない」に対しては、「(鬼越は)単独すらしてない。ジャングルポケットさんはそれでも定期的に単独やっている」、ジャルジャルに放った「(営業でスベってるらしいな。)シュールを盾に客から逃げるな」に対しては、「ゴシップを盾にネタから逃げるな」、と見事な意趣返し、見事なブーメランを鬼越の脳天に突き刺してしまったのだ。

「暴露芸」の総決算か、決意表明か

動画の配信が4月23日で、そこから約1ヵ月後となった今回の番組。もしかして、2人は、川瀬によって脳天に突き刺さされたままの、目には見えないブーメランを意識していたのではないか。

そう考えると、『ゴッドタン』で「そこまで言って大丈夫か?」という現場の雰囲気を察した坂井が放った「人の悪口でやってるんだから自分のスキャンダルなんて全部バラけさすよ」「かっこ悪い芸人にはなりたくない!」という言葉が、より一層かっこよく聞こえてくる。

川瀬名人は鬼越に対して、劇場に戻ってきてまたネタをがんばってほしい、と前向きな提案をしていた。川瀬の言葉を受けたあとの、この真逆を全速力で突っ切るような「セルフ文春砲」である。もしかするとこれまでの暴露芸の「総決算」的な意味合いがあったかもしれないが、一方で、「やっぱり俺達にはこれしかできない」という決意表明≒開き直りのようにもとれる。

しかし、どちらにせよ、言えることがある。TVerを見るときに確認してほしいのは、鬼越の暴露をそばで聞いている時の、世の中にこれ以上おもしろいことはないというぐらいの笑い方をする劇団ひとりおぎやはぎの姿だ。こんなに人を幸せそうな顔にできるのだ。ネタはイマイチ、人の悪口で笑いを取る。でも、そんなお笑い芸人がいたっていいのではないか、と思えてしまう。

サヨナラBLOGOS

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このブログを長らく転載してもらっていたBLOGOSが明日でサービスの更新を終了する。

 

泡沫ブロガーとしては、大手企業が運営するプラットフォーム上に、何年にもわたって、しかも無料で拙文を転載してもらっていたことに感謝しかない。

 

ぼくのブログの転載がスタートしたのはたしか2012年で、今のBLOGOSの陣容と比べたら、かなりキャラが濃かった。その年活躍したブロガーを表彰するBLOGOSアワードもまだリアルイベントで、受賞者と受賞者が小競り合いになるなど、言論プラットフォームすぎる事故が発生するなど良くも悪くもピリピリムードがあった。そんな場所に、自分の拙い文章が同じように転載されることに興奮も覚えたし、少し恐さもあった。

 

思い出をあげだしたらキリがない。一番の思い出は、BLOGOSユーザーからのコメントだ。

褒められもしたり、貶されもした。ネット言論あるあるで、100人中100人、誰もが納得してくれることなんて中々書けない。真っ白な画用紙を掲げても「それはエビデンスないですよね?」「あなたの感想ですよね?」と言うてくる変わり者はいる。

ハッとする鋭いコメントで自分の考えを補正させてもらったこともあるが、「ここまで瑕疵ないように書いても、まだこういうことをコメントしてくるやつがおるか…」と唖然としたこともある。

ぼくの性格上、そういう経験をしていくうちに主張をやわらげよう、とは思わなかった。むしろ「この主張を100人中100人に納得させられる文章」を書くことにやっきになっていた時期もある。ある意味、「文章教室」のように使わせてもらっていた。

この際、正直に話すと「ウケるネタ」が降ってきたときに、「このネタ、今BLOGOSがほしがってんだろうな」と勝手におもんばかり、勝手に書いて、案の定掲載され、そこそこの注目を集めたことも一度や二度ではない。「受け手のリアクションを期待して発信者が変節する」という、ネット上ではありがちな危険なループにハマっていたこともある。まあ、若気の至りである。

 

不思議な掲載基準も思い出深い。中川淳一郎さんがすでに書かれていたことと重複するが、「これが載るんかい」もあったし、「これは載らんのかい」もあった。冒頭で書いたとおり、BLOGOSには感謝しかないが、「これが載るんかい」が下手に注目を集め、ランキングを賑わせた時は、めちゃくちゃ恥ずかしかった。あの恥ずかしめを受けた感じ、マゾヒストにはたまらないと思う。

中でも一番恥ずかしかったのは、BLOGOSきっかけで外に飛び出していってしまった例で、母校の大学について書いたことが、あろうことかJ‐CASTに記事にされてしまったことだ。

iincho.hatenablog.com

blogos.com

www.j-cast.com

別にこの記事がもとで、たくさんの非難を浴びたわけではない。むしろ共感の方が多かった。

しかし、「笑われるんじゃねえぞ。笑わせるんだよ」(@Netflix浅草キッド』)というリトル・たけしを心のなかに飼っているぼくのような人間は、自信をもって書いた一世一代のネタでなく、ちょろちょろっと思いつきで書いたことが、思いの外に注目されたところに、ものすごい恥ずかしさを覚えたのだ。ダンカンばかやろー。

 

楽しい経験も悲しい経験も恥ずかしい経験もした。でもそれも全部、BLOGOSに掲載されて、たくさんの人に読まれないとできなかったことだ。

 

サヨナラBLOGOS。関わってくれた全てのスタッフの次のステージでの活躍を願って。

敗者の足跡は勝者と同じぐらい美しい~『M-1グランプリ2007』トータルテンボスの場合~

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麻雀にハマっている筆者だが、やっていてつくづく思い出すのは、「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」という野村克也の言葉だ。

麻雀は「運ゲー」だと評する人がいる。それはある意味で正しいけれど、それは麻雀というゲームの真実の姿を半分しか捉えていないと思う。麻雀が「運ゲー」なのは確かだが、「負けない確率」を高めるところに打ち手の「実力」が介在する。

でも「負けない確率」を高めたところで、必ず勝てるとは限らない。どれだけ勝てそうでも、最後に運にそっぽを向かれたら勝てないことだってある。だから、野村の言う「不思議」というのは正体不明の「運」のことなのだと思う。


「負けない確率」をいくら高めても、「勝者」になるとは限らない。しかし、雌雄が決したあと、敗者たちが描いた「あと少しで勝つはずだった道」も、勝者の足跡と同じぐらい尊いように感じる。それは、勝ちまで近かった敗者であればあるほど。

今回紹介したいのは、そんな「勝ちにあと1歩まで駒を進めた敗者」大村朋宏藤田憲右からなるお笑いコンビ・トータルテンボスのストーリー。彼らがニューヨークの公式You Tube「ニューラジオ」にゲスト出演し、漫才師の頂点まであと1歩まで進んだ『M-1グランプリ2007』を回想していた。

www.youtube.com

サンドウィッチマンの印象は「面白いけど敗者復活戦はあがってこない」

屋敷: 2007年に準優勝。サンドウィッチマンさんが優勝ですよね。めっちゃ頑張った1年じゃないですか。どういう気持ちなんですか? 悔しいのはもちろんあるでしょうけど、解放感もあったんですか?

大村:いや~2位で終わったっていうのは悔しかった。しかもサンドウィッチマンっていう認めてたところが…

屋敷:どういう感覚やったんすか? サンドウィッチマンさんって。(当時)俺ら素人はわからんすけど。

藤田:当時は全く出てなくて『エンタ(の神様)』にたまに出てるけど、見た目はあれだし、(よしもと以外の)他事務所で、しかもあのときはまだグレープ(カンパニー)じゃないもんね?

大村:そう。弱小事務所で、だからよかったなって話してたんだよ

屋敷:ライブ界隈ではおもしろいっていうのはめちゃくちゃあったんですか? それこそトム・ブラウンさんとかメイプル(超合金)さんとか、そういう感じやったんすか?

藤田:あったんだけど、当時は他事務所の頂点が(東京)ダイナマイトだったのよ。

大村:その子分みたいな感じ

ダイナマイトの方がその当時は(存在が)デカかったから、「ちょっとサンドウィッチマン損してるなー」って感覚はあったの。間違いなくネタはおもしろいし。ネタはダイナマイトより面白いと思ってた。でも人気はなかったのよ。「(ハチミツ)二郎さんとかぶってるのは損してるなー」って思ってて。

人気はなかったから安心してたのよ。敗者復活するのって人気者が主流の時代だったから

藤田:今は視聴者投票

大村:そうそう。当時は実力も兼ねた人気者が来てたから

屋敷:ちょっとは知名度がないとしんどいイメージがありましたよね

藤田:あとは作家票があったんだよね。

大村:ちょっとなめてたら、(決勝に)来ちゃったよって。見る目あるんかい!って。そのときの大井(当時敗者復活戦が行われていた会場の大井競馬場)の観客たち。

屋敷:じゃあ(敗者復活からの勝ち上がりがサンドウィッチマンに)決まった時点で一番嫌な予感はしてたんですね

大村:(事前の)インタビューでも「パンク(ブーブー)とサンドが(敗者復活戦から勝ち上がったら)嫌だ」って言ってのよ。「でも彼らは来ないですよ。人気がないんで」ってそこまで言っちゃってたから。来たんかいっ!て

嶋佐:それがフリになってましたもんね。誰だよコイツらが

大村:ウケるよあんな…。あっちの世界の人みたいなやつらが…。

サンドの漫才は面白い。でも知名度に劣る彼らは決勝には届かないだろう。サンドウィッチマンに対してトータルテンボスの2人が抱いていた畏敬と楽観という両極の感情。しかし、トータルテンボスにとって万が一の嫌な未来予想は、無情にも現実になってしまう。

途中まで想定通りの完璧な展開

ただ、トータルテンボスも、勢いに乗るサンドを、ただ指をくわえて見ていたわけではない。

この年、トータルテンボスが、『M-1グランプリ』を獲りきるために1年をかけたあるプロジェクトを実行していた。その詳細については前半の動画を参照のこと。

www.youtube.com

M-1決勝についても、トータルテンボスの“軍師”大村の頭の中には、3度目の挑戦にして最後のチャンス、2007年決勝進出で頂点を取るプランが明確にあったという。

屋敷:じゃあホンマ取りこぼしたというか、あと一歩というの気持ちすか?

藤田:もう(途中までは)完璧だったんだけど。

俺は全然わかんないんだけど、戦略大臣(大村)がこうなったらいい流れだって教えてくれるわけよ

嶋佐:なるほど

藤田:まず今みたいに笑神籤(えみくじ)でなくて事前抽選で(出番は)中盤ぐらいがいいと(思っていた)。前半が、笑い飯とか千鳥とかポイズン(POISON GIRL BAND)とかだったらいいなみたいな。ネタもわかってたから。あんまりウケないような…

大村:(ネタのテイストが)オーソドックスじゃない

藤田:そう。変化球、変化球、変化球でくるだろうなと。そしたら(会場の)空気が沈むと。そうなったら(ネタのテイストがオーソドックスな自分たちは)5番目と引きたいよなって言ってたの。そしたら5を引いたのよ! めっちゃいい流れがきたなって!

屋敷:おお(笑)

藤田:本番が始まってみたら案の定そういう流れになって。まだ爆発も誰もしてない感じ。「これ、行くんじゃない?」って。そして俺らがネタやってボカーンって爆発したのよ

屋敷:やっと爆発した、みたいなことおっしゃってましたね

藤田:想定通り来た。絶対いけるじゃん!って

屋敷:(決勝)3回目やし、なんとなくわかりますよね。

藤田:「行ったこれ」って。少なくとも絶対決勝(上位3組によるファイナルステージ)は行くし、優勝も全然あるなって思ってたら、俺の想定外がそこで1個起きて。俺らの起こした勢いを利用して俺らの次の組のキングコングがもう一つウケて、点数も向こうの方が上をいっちゃったのよ

屋敷:あ、そうでしたっけ? 服屋のやつ、スタンプカードの(キングコングが1stラウンドで披露した「洋服屋店員」)

藤田:あれあれ?? ってなって

嶋佐:流れがオーソドックスの(方に)

藤田:ちょっと嫌な感じがしてきて…

嶋佐:そっか、そこですぐ2位になっちゃったんすね

藤田:そこでサンドが出てきたから「やべっ」てなって

屋敷:ウケる未来が見えてたんすね

POISON GIRL BANDや千鳥、笑い飯といったハマれば怖いホームランバッターらが軒並み下位に沈み、トータルテンボスの比較的オーソドックスなコント漫才が爆発。想定通りに優勝圏内に入った。

ここまで想定通りのゲームプランで進んでいた決勝。そこに想定外の登場の仕方をしたのが、当時ほぼ無名のサンドウィッチマンだった。

しかも、大村が戦略を張り巡らしたのと同じように、サンドも「戦略家」だったという。彼らも万に一つの「敗者復活からの勝ち上がり」を想定して、「戦略」を立てていたフシがあるというのだ。

大村:まあ、サンドも戦略家だから。当時は1位通過が順番を決めれたの

屋敷:そうですね。だいたい「3番」って言うけど一応聞くみたいなのありましたね

大村:「3番」って言うのってさ、「勝ち狙いにきてんのかい!」ってイヤらしさが見えるじゃん? 

でもサンドはね、「3番」って言うんだけど、「こんないきなり来てなんの準備もしてないから、ネタも決めたいんで…」

屋敷:「2本目ないです」って言うてましたもんね

大村:そう。時間稼ぐために3番でお願いしますって誰にもイヤらしさが残らない…

屋敷:はっはっはっ(笑)

大村:「そりゃ仕方ないよね3番で」って。で、キングコングが2番、俺らが1番になって。

(ネタを)やって袖帰ったらさ、サンド、ネタ合わせなんてしてないもん。こうやって(ふんぞり返って)タバコ吸ってたもん

屋敷:(爆笑)もう2本目余裕であるんすね(笑)

嶋佐:それビビりますね

屋敷:おもしろ! じゃあもう描いてたんね! あの(ファイナルステージ前の)からみから。かーっ! おもろ!

敗者復活戦から勝ち上がり、その勢いのまま優勝をかっさらったサンドウィッチマン。当時史上初だった「敗者復活戦からの優勝」という快挙を許し、トータルテンボスの2人のM-1の歴史は幕を閉じた。

もしあと5年出られたら? その回答に見えた勝負師の矜持

屋敷:それで10年を全力で走ってラストイヤー。2位で終わって。そっからはどういう? 俺ら今15年なんすよ

藤田:今年ラストイヤーじゃん

屋敷:いや、俺らは(芸歴)11年目っす。だからあと4、5回出られるんす

大村:昔だったらもう出れてない

屋敷:そうそう。去年がラストイヤーでした。だからどうですか? もし15年だったらどう思います? 「嫌やなーっ」て思いますか? それともリベンジのチャンス増えた!って思います?

大村:もしあと5年出場できていたとしたらガッツポーズしてたと思うよ

屋敷:マジすか!?

大村:「またチャレンジできる」って

屋敷:「もうしんどっ!」てならなかったすか? また1年って…

藤田:いやー、なんかぐんぐん漫才が面白くなっていってるのが分かるから

屋敷:(爆笑)マジ戦闘民族っすよそれ!

藤田:真綿が水を吸うかのごとく。めっちゃくちゃ上手くなっていってるし。当時はめっちゃ進歩してるなっていうのが肌感覚で分かったからね

屋敷:じゃあ残念ですか? あと1年あればマジでいけるのにって感じですか

大村:いけると思うよ

屋敷:うっわすご

藤田:絶対行けるんじゃない?

屋敷:めっちゃしんどいじゃないですか? M-1に懸ける1年って

大村:あのときは、「優勝したら出なくていい」っていうのがあったから

藤田:その年無理でも、次の年決めればいいしって

屋敷:でも(出番を決めるくじで)1番引く可能性とかチラつかんかったんすか?

嶋佐:そんなの考えてないんだ

大村:考えてない。また5番引くだろうしって

屋敷:ひゃっひゃっひゃ! マジなんなんすか? マジすごいんすけど

嶋佐:そういうところもありますよね

藤田:全然ポジティブだったね

屋敷:「うわ、また1年がんばらな…」じゃないんすね

大村:それを噛み締めて方がいいぜ。チャレンジできる喜びを

藤田:マジで!

大村:終わって気づくから。「うわ、なんて幸せだった! あの賞レースに望めたことが」って。終わって気づくんだ

屋敷:まじ野球部の先輩としゃべってるみたいやな(笑)「お前ら練習さぼんなよ」みたいな

嶋佐:やっぱ野球部なんだよな(藤田は高校時代、野球部でエースとして活躍)

屋敷:ほんまそうっすね。体育会というか。アスリートっすね

サンドの側からしたらまさに奇跡の優勝だった。当時は敗者復活から優勝することは、文字通り「ありえなかった」。現在までにも、歴代優勝コンビ全17組のうち、敗者復活から優勝できたコンビは今も2組しかいない。サンドウィッチマンは一度は敗れ、彼らのあの年のM-1は一度終わっていた。万に一つの可能性に懸けて、それをものにした。

一方彼らの優勝は、トータルテンボスからしたら、「どんなに負けない確率を積み上げても、万が一の豪運をつかんだ者に敗れるかもしれない」という残酷な現実だった。今、2007年の最終スコアを見返してみると、イメージ以上に両者は接戦だった。ファイナルステージのサンドは4票、トータルテンボスが2票で、もし4票のうち1票でもトータルに流れていたら(形式上は)同点だった。それぐらい、紙一重の勝敗だった。

しかし、そんな残酷な「紙一重」を経験しても、彼らは「もし来年も出場できたとしたら?」という仮定の話に、「次の年決めればいいし」とひょうひょうと答える。

一度の敗北を引きずってクヨクヨしている暇はない。終わったことは仕方ない。また同じように、次の戦いに向けて、またイチからコツコツと勝利の可能性を積み上げていく。それが「勝負師」の姿なのかもしれない。

 

ちなみに、大村は芸能界で名うての麻雀打ちとしても有名。かつて、麻雀番組で1日に役満国士無双と「ドラ10」というありえない和了を2つも達成する豪運を見せたことがある。

times.abema.tv

このときの運が少しでも、2007年12月に注がれていたら、という気がしないでもないが。

信じられないような料金の引っ越し業者に依頼したら信じられないような引っ越しに仕上がった

家から駅に行く道すがら、246の反対車線に懐かしい“もの”を見かけてしまい、思わず声をあげ、ついでにスマホで写真まで撮ってしまった。

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それはある引っ越し業者のトラックである。○○引っ越し社―――その名前をつぶやいただけで、ぼくの脳裏にあの凄惨な、おぞましい、“事故”の記憶がありありと蘇る。名前こそ伏せるが、ぼくはこの○○引っ越し業者を利用して散々な目にあったことがあるのだ。

 

Chapter1:「引っ越し費用6万円」という悪魔のささやき

ときは2015年。当時付き合っていた彼女が大学を卒業し、就職を機に都内へと引っ越すことになった。とっくの昔に卒業し、大学付近に住む意味を完全に失っていたぼくだが、同じタイミングで引っ越して同棲することになった。

 

引っ越しにはお金がかかるもの。敷金・礼金、さらに家具を新調するなど次々資金が飛んでいく。なので引っ越し費用はなるべく抑えたい。そういう腹づもりでネットで探すうち、彼女が約6万円でやってくれる業者を見つけてきてくれた。

これが何を隠そう、冒頭の業者になるわけだ。横浜→東京というルート、単身者1ルームの引っ越しを6万円という価格帯ですべてやってくれるという業者はほかにない。ぼくは喜んでその業者に飛びついたわけだが、全てを知っている今のぼくなら、当時のぼくを羽交い締めにしてでも止めていたことだろう。

 

Chapter2:誰もやってこない見積もり ストビューを送付するだけで楽チン★

引っ越し費用が格安なのはすぐに分かった。人件費をゴリゴリ削っているのだ。通常、引っ越しを申し込むと、営業担当者が家にやってきて見積もりを出してくれるのだが、その業者は当日まで一度も来なかった。誰一人。その代わりに、電話で自宅周辺のストリートビューを送ってほしいと指示をされた。

ストビューで自宅を検索し、メールで送ってハイ終わり。こんなに簡便に事が進むことも早々ない。今にして思えば、このあたりでもう怪しいと勘付き、引き返しておくべきだったのだが。

 

Chapter3:約束の時間にも誰もやってこない

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来ない引っ越し業者をじっと待ち続けるダンボールたち(2015年3月某日)

そして引っ越し当日。段ボールに荷物を詰め、外にまで出して、準備は万端。手伝いにきてくれた彼女と家で待ち構えていると、早速問題が発生する。来ないのだ。約束の時間になっても引っ越し業者が来ない。正確な時間は忘れたが、たぶん約束は14時ぐらいだった。しかしその時間になっても、待てど暮らせ業者はやってこない。遅れるという連絡もないものだから、お腹が空いたぼくと彼女は、引っ越しする部屋を放り出して近所のガストにいって昼食を取ることにした。この時点では、「これが6万のクオリティか。ちゃんと安いだけの対応をしてくるな」と、妙に感心したことを覚えている。

ガストで山盛りポテトフライをつまんでいるところで、ようやく先方から折り返しの連絡がきた。電話をとった彼女が、「え? そんなことってあるんですか…。わかりました」と、驚きと困惑の表情で電話を切る。業者からは、その日、午前に本牧の方でその日1件目の引っ越しを終えたところ、渋滞に捕まり身動きがとれなくなり、おそらくこちらに着くのは18時ぐらいになる、と言われたんだそうだ。

14時と約束して18時。そろそろ6万円のやばさをしっかり自覚していたぼくだが、もうここまで来たなら彼らを待つしかない。なぜなら、その部屋はその日の23時59分までに完全に出なければならない。不動産業社とはそういう約束なのだ。もう、このポンコツの引っ越し業者に頼むほかない。彼らが頼みの綱なのだ。

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夜になっても一向にやって来ない引っ越し業者。記念撮影する彼女(2015年3月某日)
Chapter4:たった2人の引っ越しスタッフ。しかもそのうち1人が減る

3月末、横浜の18時台はもうかなり暗くなっている。そろそろ焦り始めていたとき、ようやく業者がやってきた。4時間の遅刻で、本来なら怒ってもいいぐらいなのだろうが、そのときのぼくのむしろ感謝していた。その頃にはもう誰も来ないのではないかとすら思い始めていたからだ。なんなら、ここまでやってきてくれただけでホッとした。なにせ、この引っ越し業者の“中の人”と会うのはこの日が最初である。実態のない架空の業者であってもおかしくなかったのだ。

しかし、来てくれたはいいものの、すぐに不穏なことに気づく。スタッフが少なすぎるのだ。大人しそうなおじさんのトラック運転手と、もう1人、髪を明るく染めたハツラツとした若者、少し成宮寛貴に似ている。そんな男性2人組。ここでも、6万円という安さのやばさを痛感するとともに、後悔の念がじわじわと押し寄せてくる。

基本的に、作業についての話は成宮くんがしてくれたのだが、しばらくして次なる異変に気づく。最初の方こそ荷物を運び出してくれていたおじさんスタッフがいなくなり、いつの間にか運び出しているのは成宮くん1人だけになっていたのだ。

話を聞くと、ぼくの住んでいたアパートの立地の問題らしい。そのアパートは向かいに交番があり、あたりに駐車場はない。トラックは必然的にその目の前の国道脇に駐車することになる。それしか方法がないのだ。そのため、運転手のおじさんが路駐の罰金が怖いと言い出してトラックから出ることを拒否し始めた、というのだ。ここでも、ストビューだけで済ませた雑な見積もりがしっかり爪痕を残す。見事な伏線回収だ。

 

ただでさえ少なかった2人のスタッフが、ついに実質1人になってしまった。こんな絶望的な状況ってある?

驚いたのは、1人になった成宮くんが、誰に助けを求めるでもなく、1人で冷蔵庫も洗濯機も運び始めたことである。これほど「重」の字が似合う重労働も中々ない。青筋を立て、鬼のような形相をし、冷蔵庫を背負って玄関を出ていった成宮くんの姿は、今でも忘れられない。気の毒すぎてもう少しで危うく「絶対転職したほうがいいですよ」と声をかけるところだった。

Chapter5:半ギレのスタッフ

当然、そんな状況だから、成宮くんの機嫌はみるみる悪くなっていく。怒りの矛先はいくつもあるだろう。無茶な人員で仕事を振ってくる会社、トラックから籠城を決め込んだ同僚、そして、非人道的な安さに引かれてそういう仕事を生み出す消費者のぼく。全員が悪い。

最後の方ではついに成宮くんが半ギレになり、ついにぼくに「ちょっと手伝ってもらいます?(怒)」と凄んできたのだ。ぼくはぼくで言い返すこともなく、「はいっ!」と二つ返事でこたつテーブルの解体を手伝う。もはや、現場を取り仕切っているのは彼なのだ。

6万円はそうした雑務も含めた値段だったはずなのだが、もうこのときはそんなことを言っていられる状況ではなかった。どちらがサービスの受益者で、どちらがサービスの提供者か、そんな関係性は、この部屋を23時59分までに出払わなければならないという絶望的な状況下の中で、とっくの昔に吹き飛んでいた。元はと言えば、お前らが4時間もの大遅刻をかましたからだろ、という言い分も脳裏をよぎったが、誰のせいかといいう責任の所在などこの際どうでもいい。とにかく、23時59分までに、まだ物がうず高く積み上げられたこの部屋は、すっからかんにならなければならないのだ。

 

全てが嵐のように過ぎさった22時ごろ、トラックが引っ越し先に向けて走り去っていった。

ぼくは、残って半分泣きながら、部屋を雑巾がけし、ゴミを集積場所まで運ぶ。何度も何度も。

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10年近く敷いていたカーペット。10年ぶりにめくると謎の白い粉が…怖い…。(2015年3月某日)

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10年近く住んだ部屋を後にする前の最後の1枚。しかし、余韻を楽しむ余裕はまったくなかった(2015年3月某日)

続いて、部屋のオーナーが管理を委託している横浜駅近くにある不動産屋にまでタクシーで急行し、鍵の返却へ。こんな時間に誰もいるわけないだろ、と半ば諦めの気持ちで店のドアノブを回すと、なんとドアは開いた。さらに、店の中には、まるで昼間の営業時間のように、多くの社員たちが涼しい顔をしてまだ働いていた。その不動産業者の闇については深く詮索することもせず、急いで終電間際の東横線に乗り込み、0時頃、やっと新しい我が家に着いたのだった。

 

とまあ、こんな具合で散々な目にあったのが冒頭で見かけたトラックの引っ越し業者なのだ。あんなオペレーションで続くはずないだろ、とぼくの中では勝手に終わった会社になっていた。だから、まだ企業として存続していることに驚いたのだ。

その悲劇の引っ越しの前日か前々日、実は恋人の部屋の引っ越しにも立ち会っていた。それは動物のマークが目印の例の大手業者の仕事で、1ルームに何人ものスタッフがやってきて、梱包から何から全てやってくれていた。手際も華麗で、それはそれは見事な仕事だった。

この経験から学んだのは、「費用が人件費にダイレクトに直結するサービスに対しては出し渋りせずに対価を払おう(でないと、仕事の質にダイレクトに直結する)」ということである。

そうした学びもあって、散々であり、惨めであり、悲しくも切なくもある経験をさせてくれた件の引っ越し業者には今は感謝をしている。もう2度と依頼しないが。ぼくの洗濯機を青筋を立てながら背負ってくれた成宮くん似の青年。彼はいま、どこで何をしているのだろう。

回し蹴りに自殺未遂「なんそれ!」ではすまされないZAZYの壮絶すぎる生い立ち

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以前、洋裁用品店で見つけたZAZYになれそうな棚

 

奇妙奇っ怪なフリップ芸と、「なんそれ!」の決め台詞で昨年のR-1グランプリ準優勝と健闘したZAZY。昨年末、ニューヨークのYouTubeチャンネルに出演した際、思いの外ディープな生い立ちを語っていた。

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奇抜なフリップ芸と裏腹に、子どもの頃は小学校時代から勉強づけの日々を送ったというZAZY。高校は甲子園の強豪ながら、進学校としても有名な智弁和歌山に入学する。そしてその後、一浪の末に東京理科大に進学した。

こうした経歴について、すべては塾を個人経営していた父親の影響であると明かしたZAZYだったが、ニューヨークの2人になにか話したい様子で…。

親父が経営するスパルタ学習塾の実態 生徒に回し蹴り 居残りは深夜3時4時まで

ZAZY:あ、でも、これを言っちゃったら長くなるんで。大長編になるんすよ

屋敷:辛い?

ZAZY:辛い話。僕はポップに話せますけど(軽く深呼吸)

嶋佐:話す前に息を飲んだよ。話したくないならいいよ?

ZAZY:本邦初公開です。ここでしれっと公開して、いずれ本にしようかなってぐらいのことです

屋敷:えー(笑)

嶋佐:(EXIT)兼近みたいなこと? 『むき出し』(兼近大樹が発表した自伝的小説)みたいなこと?

屋敷:ZAZYに任すよ。止めておくでもいいよ

ZAZY:いいっすよ。これで逆に火が付いたら火が付いたで

親父が塾講師をやってて、地域でもめちゃくちゃスパルタな高校受験専門の学習塾なんですけど、今じゃないですよ? 当時、中学生をボコボコにするんすよ

屋敷:(笑)

嶋佐:どういうこと? どういうこと?

ZAZY:勉強できへんかったら回し蹴りとか、一番得意なやつは(生徒の)顔を持って机にボーン!ってやるやつなんですけど(笑)

ニューヨーク:(笑)

嶋佐:そんな塾あるの?

ZAZY:中2女子とかにするんですよ?

で、ヘビースモーカーで タバコをプカプカ吸いながら教えるっていう。親父はハゲで、それこそ波平みたいな頭で、たっぱが190ぐらいあるんすよ

屋敷:うおおおお、見たことないね

ZAZY:で、生徒をボッコボコにするんです…(笑)。で、中学生を夜中の3時4時まで居残らすんです

屋敷:(爆笑)聞いたことないで!

嶋佐:もう朝じゃん…

ZAZY:地域がよくないところなんですけど、ヤンキーの親御さんが入れるんですよ。更生施設みたいな感じで

嶋佐:あー、なるほど! 戸塚ヨットスクールみたいなことや

ZAZY:そうなんです。それで絶対志望校は受かるし

屋敷:『ドラゴン桜』だ!

ZAZY:そら受かるわ、みたいな。中学生も嫌すぎて、机や壁に落書きとかするんですよ。だから教室1個しかないんですけど、落書きで刃牙の実家みたいになってるんですよ(笑)

屋敷:(爆笑)

嶋佐:親父もワンオペだから消すの追いつかないんだ

屋敷:ホント牢屋みたいになってるんや

ZAZY:「ハゲ、○ね!○す!」「絶対○す」とか書かれてるんすよ

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勉強しているときに背中に包丁「寝るな。寝たら○す」

父親が経営する塾の衝撃的な実態を明かしたZAZY。そうした父親の“教育姿勢”は、実の息子たちにももちろん及んだようで…。

ZAZY:僕も小学生の時に中学生の授業を受けさせられて、そこの長男なんでメチャクチャ勉強させられて…

屋敷:あー、赤井の長男やから(ZAZYの本名は赤井俊之

ZAZY:一番引かれるのは、たとえば勉強してるときに「寝るな。寝たら○す」って言われて、ホンマに背中に包丁を突きつけられるんです(笑)

屋敷:だめだめだめwww

嶋佐:ほんまに?

ZAZY:ほんまに! 背中に切っ先を感じるんです

屋敷:なんも覚えれんで!

ZAZY:そうなんですよ。当時中1とか中2なんで、泣くじゃないですか。泣いてる状態でも「はい、覚えな刺すで」って

屋敷:えー!

嶋佐:うわ~…

屋敷:すっごいね! そら智弁和歌山行くわ

ZAZY:地域の小学校でも、いじめられ始めるんですよ。親父にボコボコにされた中学生が僕をいじめるんですけど、そんないじめなんてかわいいというか。ハサミで制服を切られるとかはあったんですけど、「別に」っていう。家帰ったら親父に刺されるかもしれんし(笑)

嶋佐:熾烈だなあ

ZAZY:だから当時そんないじめだとは思ってなかったです

屋敷:じゃあ辛いとかじゃなかった?

ZAZY:なかったです

嶋佐:すごいねそれ…

屋敷:そっからでも智弁和歌山行ってさ、東京理科大行ったときのお父さんとかどうやったん?

ZAZY:そっから…もうちょっと壮絶期の話していいですか?(笑)

嶋佐:まだ続くんだ…

母親が自殺未遂 睡眠薬を1瓶飲んで高速道路を運転

ZAZY:(親父が)めっちゃ厳しくて、バレンタインデーのときとかも、僕が初めてもらったチョコとか手紙を学生カバンに入れてるじゃないですか

屋敷:おお、青春やね

ZAZY:(親父が)「勉強してない。テストの結果を見る」ってカバンを勝手に開けられて、手紙とチョコレートが入ってるじゃないですか。「こんなんもらって色気づいてるから勉強せえへんのじゃ」って手紙破かれてチョコ食われたことあるんですよ

屋敷:チョコ食うんかい!

嶋佐:そこは捨てるんじゃなくて食うんだ

屋敷:お母さんはどんな感じ?

ZAZY:「手えだけは出さんとって…」って感じなんですけど、ボコボコにするんで

屋敷:ZAZY、兄弟は?

ZAZY:弟いるんすよ。僕は泣きながら勉強してたんですけど、弟は(身長が)190あって武闘派なんで、(父親と)殴り合いって感じですね

嶋佐:でも真面目なんだ

ZAZY:真面目だったと思います

おかんが一回発狂して。(親父が)あまりにも息子たちを殴るんで

嶋佐:なるほど

ZAZY:一回、睡眠薬を1瓶飲んで、高速運転するっていう自殺未遂をしてるんです

屋敷:(突っ伏して静かに笑う)

嶋佐:…それはちょっとすごいな…

幸い、母親は無傷で病院に搬送されたそう。父子で病院までタクシーで向かう道すがら、父親から「お前が勉強せえへんから、おかん死にかけたやろ」と説教を受けたというZAZY。そんなこんながありながら、名門、智弁和歌山への進学を決めたZAZYだったが、まだまだ苦難は続くのであった

智弁和歌山で登校拒否 暗闇で8時間ボーッとする日々

壮絶な家庭環境もあり、せっかく入った智弁和歌山時代にはしばらく登校拒否を経験したというZAZY。もちろん強権的な父親が登校拒否を許してくれるはずもなく、ZAZYは母親と協力し、父親にバレないように登校拒否をしばらく続けていたという。その“おとんにバレずに登校拒否”のエピソードがこれまた壮絶で…。

ZAZY:おとんは塾経営やから夕方まで家にずっとおるんですよ。で、おかんはおかんでパートしてるんですよね。どうするかっていったら(朝に)「行ってきま~す」って玄関を出て、塀みたいなのをよじ登って、庭にある物置に入って、あそこに一日おるっていうのをやってました

屋敷:えー? 飯も食わんと?

ZAZY:弁当はあるんで

屋敷:ああそうかそうか

嶋佐:だいぶ近くで…。もっと場所なかったの?

屋敷:(笑)

ZAZY:なんかそうしてましたね。

屋敷:そこぶらぶらしてて(近所の人に)目撃されてもよくないしな。それがどれぐらい続いた?

ZAZY:(期間は)半年ぐらいなんですけど、そのときは携帯も持ってないし、納屋みたいなところで真っ暗で懐中電灯を持っていって読書もできないので、ずっと8時間ぐらい暗い中でボーッとしてるっていうのもあったんです

屋敷:すごいな!

嶋佐:壮絶だな!

 

暗闇の中で何時間もボーッとする。そのときの異常な思春期が、今の芸風に影響を与えたのでは、と自己分析するZAZY。

ZAZY:そんときに、人と違う脳みそになったのかもしれないです

屋敷:たしかに、そうじゃない? そんなことないもん。普通の高校生。引きこもりとかともちがうもん

ZAZY:ちがいますね

屋敷:山で育ったみたいなかんじ

ZAZY:誰ともしゃべってないですよ。なんもしてないです。ほんまに。昨日の夜観たウンナンさんとかダウンタウンさんとかを思い出すみたいな(笑)

屋敷:頭の中で再放送

ZAZY:ゲームも、おとんは優しいときは優しんでテストでいい点を獲ったときゲームなんかめちゃくちゃ買ってくれるんですよ

屋敷:買ってくれるんだ

ZAZY:でも、悪い点数とったりサボってたりしたらゲーム壊しよるんですよ

屋敷:ふははは

嶋佐:どっかにしまうとかでなく

ZAZY:バコーンって壊すんです。弟と僕でプレステ2、6台壊してるんです

屋敷:えええええええ

嶋佐:もったいねえ!

屋敷:また買ってくれるんや

ZAZY:でも偉いもんで、3台目ぐらいからもうRPGを買わなくなるんですよ(笑)

屋敷:ふははは なるほどね!

嶋佐:時間かかっちゃうもんね

ZAZY:その場でパッとできる格闘ゲームとかウイイレとか

突然のおとんの死

1浪の末に理科大に合格したZAZYだったが、思い描いていたキャンパスライフとのズレが感じたこともあり、大学を辞めてNSC入学を決意する。このころ、病気を患いかなり弱っていた父親は、「いずれ大学を卒業してくれるなら…」と休学を渋々了承。しかし、このときZAZYはもう大学を退学し、お笑いの道に完全に足を踏み入れていた。

ZAZY:NSCを卒業するぐらいのころに「ちょっとおとんがもう危ない。今夜が山かもしれん」っておかんが連絡もらったんですけど、「別に、いっか!」って同期とスマブラやってましたね

屋敷:ああ、そう…(笑) なるほどね…

ZAZY:それで朝イチの電車で帰って、おとんがで亡くなった、みたいな。おとんの最期の一言が「俊之、大学だけは卒業してくれよ」って

屋敷:うっわ…(笑)

嶋佐:最期まで教育親父で

屋敷:うわー!!!

ZAZY:だからZAZYになってるのどう思ってるんかなって思います

屋敷:普通、その(話の)入りやったら、どっかでおとんと認め合うみたいなところあるけど、もう亡くなっちゃったんだ…

ZAZY:葬式のときも葬儀屋さんが来てバタバタするじゃないですか? いろいろ決めて、「喪主さんどちらがされます? ご長男か、奥様か」って聞かれて、どちらも嫌やっていって、葬儀屋さんの前で喪主でじゃんけんしたんです(笑)

屋敷:でどっち勝ったん?

ZAZY:僕が勝っておかんが喪主をしました(笑)

息子が金髪ロン毛になったことを知らないまま死んだ父親

屋敷:これどこにも話してへんの?

ZAZY:どこにも話してないです。

嶋佐:(こんな話ここで発表して)これいいの?

屋敷:俺ら抱えきれます?

嶋佐:抱えきれないです

屋敷:(笑)すごい話や…

ZAZY:これを何かの形にしたいです。もっと細かいエピソードもいっぱいあります。

嶋佐:これは映画化まで見えましたね

屋敷:俺の観た映画って、最後やっぱ親父と仲直りしてる(笑)最期「大学だけは卒業してくれよ」って言って倒れて…(笑)

ZAZY:だめですか? 最後で主人公が金髪ロン毛になってフリップめくりだす

NY:(笑)

屋敷:なんそれ!って終わるな~

ZAZY:(笑)

偏った父親に苦しめられたものの、現在は亡くなった父親に対して、怒りや憎しみの気持ちはないというZAZY。

けれど、現在の彼の唯一無二の風貌、そして芸風はおそらく、父親から幼少期に過剰に期待されていた場所から最速最短で抜け出したいという気持ちが原動力になったのではないか。そう思わずにはいられない。

「世界にたった一人の運命の相手」を探してさまよう人に届けばいい映画『恋をするなら今宵のディナーで』

この世界のどこかに、自分の対になる“運命の人”がいるはず――そう考えるのが恋愛における運命論だが、Netflixで配信が始まったイタリア・ポルトガル製作の映画『恋をするなら今宵のディナーで』は、そんな運命論に過度に期待しすぎている人に届いてほしいようなラブストーリーだ。

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映画『恋をするなら今宵のディナーで』Netflixより

もしあの人と付き合っていたら…異色のパラレルワールド・ラブストーリー

分かりやすくするため、字を色分けして紹介する。

映画の主人公は、ダリオマッテオという2人の男、キアラジュリアという2人の女、独身の男女4人だ。4人は友人夫婦の引っ越しパーティで知り合い、連絡先を交換し、まずダリオジュリアマッテオキアラが恋仲になっていく。

ところが、映画は突然時間を巻き戻し、4人が知り合う時間まで戻ると、今度はダリオキアラマッテオジュリアが恋仲になっていくシーンが進んでいく。

え、この4人は全員浮気者ってこと? と鑑賞者は混乱してしまうかもしれないが、そういうことではない。本作がこの4人の登場人物を通して挑戦しているのは、「現実に生まれたカップル」と「ありえたかもしれないカップル」、その2つの世界線を同時並行で描いていく、という離れ業なのだ。

2つの世界線を通して描かれるもの

2つの世界線を通して描かれていくのは、結局恋愛がどのような道筋をたどるかはそれぞれの個性にかなり左右されるということ。

たとえば、マッテオキアラのパートでは、2人がマッテオのお気に入りのレストランを訪れたものの、貸し切りで結婚式が開かれているため使えないというハプニングが起きてしまう。ところが、花嫁の好意で急きょ招待され、幸せそうな新婚夫婦を目の当たりにして、マッテオキアラの恋が進展することに。

しかし、マッテオジュリアでは、そもそもそのハプニングが起き得ない。マッテオが同じレストランにジュリアを連れていこうとするが、合理主義者で用意周到なジュリアの性格から、行く前にレストランに電話をして結婚式のため使えない、ということが分かってしまうのだ。

それだけではない。誰と付き合うかによって、その人の性格や趣味、人生も変化していく。しかもそれは、どちらか一方からもう一方への一方通行ではない。相互作用だ。

誰と交際し、結婚するかで、住む場所も変われば、キャリアだって変わる。独身だったら子ども嫌いだった人が、世界線が代わった次のシーンでは、我が子に優しい視線を送るのだが、それは「今ある現実は無数の選択が積み重なった上にできた偶然の産物」にすぎないことを強く印象付ける。

一方で、「こいつ、どっちの世界線でも同じ過ちを犯してんじゃん!」という場面もきちんと描いていて、それはそれで笑える(映画を観終えた人は「ステラ」という名前を思い出してほしい!)。

また、「この人とこの人は相性が合わないだろうな」と第三者から見られていたカップルも、意外や意外、遠回りしながらも上手くいくことだってある、ということに映画は言及する。結局、上手くいくかどうかは付き合ってみなければ分からない、ということだ。

「運命の人」は存在しない…わけではない

そんな本作は、「どんなことが起きても永遠不変の運命の人」という世界観に疑問を投げかける。

でもそれは、「運命の人なんて存在しない」というニヒリズムとも少しちがう。

ネタバレを回避していうならば、本作が2つの世界線を通して描こうとするのは、「世界線は無数にあるが、どの世界線にだってあなたの“運命の人”になりえる人(運命の人候補)が存在する」ということ。「運命の人」はあなたの人生が変わればその都度変化し、それに出会えるかはあなた次第。でもそれは、一方的に「見つける」というより、あなたがあなた自身をフィットさせていく作業かもしれない。

他のパラレル・ワールド作品とちがう多幸感の正体

本作と同様、「今ある現実は無数の選択が積み重なった上にできた偶然の産物」ということを描くパラレル・ワールド作品の多くは、鑑賞後に自分自身の現実も不確かなように思えてきて少し不安な気持ちになるが、本作はひと味違った独特の多幸感を味あわせてくれる。

この映画の根底には、かつて超合金・カズレーザーがテレビ番組で放った名言に通じるものがある。かつてカズは、「常に将来について思い悩んでしまう」という女子大生の悩みに対して放った「人間、どうせ幸せになるのよ」と説いた。この映画の多幸感の正体は多分それだ。この映画を観ると、ぼくたちは誰と一緒になってもどうせ幸せになってしまう、と言われているような気がする。

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映画は、冒頭と同じ友人宅のパーティに、夫婦となった4人が再び訪れるところで幕を降ろす。

心憎いのは、最後まで「ダリオジュリアマッテオキアラ」と「ダリオキアラマッテオジュリア」、そのどちらの世界線が真実だったのかを観客に対しては明かさないところだ。このラストはまるで、「どちらが真実だっていいじゃない。どうせ4人は幸せになるのよ」と言っているかのようだ。

今年も“じゃない方会社員”で生き延びたい

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もうそろそろ2年前になるだろうか。かつて『水曜日のダウンタウン』で「なにやら占い師に傾倒し始めた相方が改名を訴えてきても応じられない説」が検証された。

ドッキリで、コンビの片方が相方に対して、メチャクチャな芸名やコンビ名の改称を提案する様子をモニタリングする内容で、その中に野性爆弾が登場した。

仕掛け人のくっきー!が自分の芸名を「相原YOU」、コンビ名を「飛ぶ人間(ピーターパン)」、さらにロッシー自身の芸名も「しそうのう郎」に改名したいと提案。野性爆弾といえば、芸歴は20年を有に超えるベテランである。ロッシーの芸名にもそれなりに歴史がある。ところが、この全ての提案をロッシーは「全然いいよな」などとほぼ二つ返事であっさりOKしたのだ。この様子が、当時ネット上では「くっきー!より怖い」「狂気」などと話題になっていた。

 

そのとき、ぼくはぼく自身に対して、ほかの視聴者とは全く別の意味で衝撃を受けていた。なぜなら、みなが「怖い」「狂気」と言っていたロッシーの反応が、ぼくにとっては「すごい分かる」「たぶん俺もこういう反応する」と共感できてしまったのだ。

このとき、自分の「じゃない方」属性を直感した記憶がある。ロッシーといえば、紛うことなき「じゃない方」芸人だろう。鬼才・くっきー!がお笑いの分野を超えて多才を発揮する一方、幼稚園からの幼なじみにして相方のロッシーは常に受け身で、何かを自発的に発表する瞬間は、少なくともテレビ画面上では目撃できない。千原ジュニアをして「爆弾がくっきー!、野性はロッシー」と言わしめたように、その芸歴のほとんどをその天性の天然属性で乗り切ってきた男である。おそらく、芸名やコンビ名についても、「くっきー!が替えたいのなら替えよう」ぐらいだったのだと思う。

 

この「変えたいという意思がある人がいるなら、それに従おう」。その感覚が、ぼくはとてもよく分かるのだ。なぜなら、ぼく自身も会社では「じゃない方会社員」だからだ。

自分から自発的に企画を立てない、やれと言われたらやる。自分の担当する業務についても、責任は取るけどそこまでこだわりはない。上司に「こういう風にしたほうがいいんじゃない?」と言われたら、「あ、そうですかね。じゃあそうしましょう」と二つ返事で了承してしまう。それは、上司と意見が対立したくないとかではなく、本当にそこに意思がないからだ。ほら、ロッシーではないか。

もしぼくがお笑い芸人だったとして、相方からぼく自身の芸名変更と新しい芸名を提案されたら、「全然いいよ」と了承してしまうと思う。そこに意思がないからだ。意思がないなら、意思がある人の意見に従うまでなのだ。

 

しかし、こうした「じゃない方会社員」として自分が始末に終えないと感じるのは、自分のことを「会社のお荷物、厄介者」とは露ほども自戒していないところだ。

こうした厚顔無恥な自意識の誕生にも、お笑い芸人が関係する。

以前、ハライチの岩井勇気が『あちこちオードリー』で、ネタを書いていない相方の澤部佑に対して抱いていた不満と折り合いをつけるため「俺の本当のやりたいことに、ギャラを半分あげて来てもらっている人」と思うようになった、と話していた。

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澤部は厳密には「じゃない方」芸人とは言えないほど売れに売れきっているし、どちらかといえば、少し前の岩井の方が「じゃない方」に片足突っ込んでいたぐらいだったが、ネタについては岩井が完全な頭脳で、澤部は「じゃない方」になるといっていいだろうを

岩井のこの言葉を聞いたときに、膝を打つ思いがした。そうなのだ、「じゃない方」は不必要な存在などではない。ぼくのような「じゃない方会社員」がいなければ、会社の業務は回らない。ぼくも社長や上司からしたら「俺の本当のやりたいことに、ギャラを半分あげて来てもらっている人」なのだ。岩井が、ネタを書く方/書かない方の不平等への不満に折り合いをつけるために編み出した考え方が、全く関係ないぼくに刺さった瞬間だった。

 

よく、「0から1を生み出す人」「1から10を生み出す人」「10から100を生み出す人」という言い方がある。ぼくの意識では「じゃない方会社員」はそのどれにも当てはまらない。さすがに「10から100を生み出す人」ぐらいはやっているのでは?という人もいるかもしれないが、その人はまだ「じゃない方」会社員として徹底できていない。真の「じゃない方」会社員はときに「56から61を生み出す人」になれば、ときに「45から29を生み出す人」にもなる。たまには足手まといにもなる。たまにね。

 

ここまで読んで、こいつは人生を、社会をなめきっていると感じた人。あなたは正解である。無論、ぼくは人生をなめきっているが、この「じゃない方会社員」であることが安泰であるとまでは思わない。いずれバレるかもしれない。いつか来るかもしれないその日まで、息を潜めて、「じゃない方会社員」として今年も生き延びたい。